あれから、約二週間程が経った。気がつけばもう2月も終わりだ。明後日には3月がやってくる。もうすぐ卒業。そう思うと何だかちょっとだけ切なくなった。
でも、卒業の前に大きな大イベントが残っていることを、私はわかっていた。不二君の誕生日、だ。閏年生まれの彼の誕生日は、今年はないものの、変わりに28日にお祝いされる。それは小学校の頃から全然変わっていない。…それだけ、彼は人気者なのだ。周囲の人らが、彼を放っておかない。そんな凄い人と、私なんか釣り合うわけはないんだよね。
「誰にやるつもりだったの?てか、良く渡そうなんて思ったよなーすげー自信!でもフラれたんだろ?」
あの言葉が頭から離れない。そして、最後に目を合わせた不二君の顔も脳裏から消えない。
あれから、初めの2〜3日は不二君に声をかけられた。けれど、上手く声に出すことは出来なくて。自然とシカトをしてしまった。それから4日以降は不二君も話をしようとはしない。ちょっとは近くなれたと思った。だけどそれは結局私の自意識過剰。…不二君に、私なんかふさわしいわけないのに。
片道切符の終着点
お風呂から上がった私は、タオルで髪の毛を拭きながら、自分の部屋に戻った。それから勉強をちょっとだけして、布団の中にもぐるのは最近では良くあることだ。…二週間前までのあの楽しいやり取りはなくなってしまった。
肩にタオルを掛けた私は、前と同じように今日の授業の復習と予習をするために教科書を開いた。そこで、目に映るのは、真っ白な携帯電話。ほんの数週間か前は、ピカピカと光ってその存在を主張していたのに、今では全く鳴らなくなってしまった。それは、由美子さんとの関係が切れた、証拠。これも自分の所為だ。14日の日、真実を聞かされた私は逃げ出して、そしてその日の夜に来ていた電話も、次の日の夕方にかかってきた電話も、全て無視をしてしまった。それから由美子さんとの接点はゼロ。大切だった、信頼できると思った。由美子さんが私の人生を大きく変えてくれると思った。でもそれは結局他力本願で自分では何もして無い、こんなんじゃ変わることなんて出来ないんだと気づかされた。そして、自分の臆病さ故の逃げだ。不二君のお姉さんだと知ってしまったあの日、私は逃げたんだ。怖かったから。
あの日から、私の生活は前と変わらない。全部戻ってしまった。不二君への恋が終わったこと以外。それは余りにも呆気なくて、ああ、こうも全て戻ってしまうんだなと、失ってしまったものの大きさに後悔するのみだ。だけど今更メールなんて送れないし、何を言えば良いのかわからない。―――きっと由美子さんのことだから、不二君に私のことをちくいち全部報告なんてして無いんだろう。だけど、傍に居られないと確信したのだ。由美子さんにも、不二君とも。
教科書をぺらぺら捲りながら一人でやる勉強はとても味気ない。そんな中いつもメールをくれたのが由美子さんだった。メールでちょっと話すだけでまたやるかって気になったのだ。
それがあるからか、今でも勉強の合間にちらちら携帯を見てしまう自分が莫迦みたいだ。今日も何度となくちら見してしまう携帯。すると、小刻みに携帯がバイブした。え、と心臓が高鳴るのが解る。数度振動したそれを恐る恐る手にする。
そして、メールを開いて―――唖然とした。
「…うそ」
思わず呟いてしまった声は部屋の中に渡って静かに消えた。メールの送信者は“由美子さん”だったのだ。あんなにシカトしてしまったのに、久しぶりのメールに胸が苦しくなる。自分で遠ざけておいて、凄く自分勝手だ。震える手で、ボタンを押す。その感覚さえも久しぶりな気がする。ピっと画面が切り替わって、本文が写り出す。
ハッと息を呑んだ。
『明日、話したいことがある』
メールにはそう一言書いてあった。たかが一言って言うかもしれない。だけどその一言はとても重みがあって、どこか有無を言わせないものがあった。まるで、別の人が書いたような文面。いつもの柔らかな文章とは違うそれに、別の意味でドキドキした。何を言われるんだろうか。この前の続き?
どうやって返事を返せばいいのかもわからなくて、結局私は無視してしまう形になった。パタンと閉じた携帯はその日鳴ることはなかったけれど、でも、わかってる。もう逃げられないのだと言う事。
チュンチュン―――、まだ外は寒いというのに、小鳥のさえずりに私は瞳を開いた。結局あのメール以降、勉強をする気にはなれなくて、早々と布団の中にもぐりこんだものの、色々考えていて、ちっとも眠れなかった。朝早くからチュンチュンと鳴き続ける小鳥の声を聴きながら、私は青いカーテンをシャっと開けた。外はまだ薄暗かったけれども、きっと今日は晴れるんだろう。…そんな予感がした。時刻を見れば、まだ起きる時間の1時間早い6時前。私は鳴るはずのアラームを切ると、のろのろとした足取りで学校の用意をしにかかった。…結局由美子さんに返事は返せないまま、当日。―――どうすれば良いんだろう。どうなるんだろう。そんなことばかりが私の頭を離れなかった。そんなことを考えていたくせに、用意だけは少しずつ進んでいって、あっという間に支度を整えた私は、お弁当を作っている母親に挨拶をして、出来たばかりのお弁当を手に、家を後にした。…いつもよりも30分近く早い登校。朝の気温はまだまだ冷たく、刺すような空気にピリっとする。背筋が縮こまるのはその所為だろう。はあ、と自身の息を手に吹きかけて、私は坂道を登った。いつもは歩いて上がる坂道を、今日はがむしゃらに走って上がると、さすが帰宅部と言うべきか、すぐに息が切れていた。頂上に着いた頃には、ほんの少し息が乱れていて、大きな息をついた私は、一度立ち止まって後ろを向いた。突き刺すような風は未だに変わらず私を攻撃するけれども、歩いていたときよりは慣れた気がする。ふう、と一度息を吐き出すと、私は前に進むことにした。学校までまだ半分もある距離。でもきっとこの調子だと随分早くに着いてしまうんだろう。そんな予想をしながら、いつもはじっくり見ない景色を見ながら歩く。…そうすれば、自然と考えてしまうのは、由美子さんからのメール内容。
…話したいこと―――その内容を私は解っているつもりだ。…どうせフラれているんだから今更…と思われるかもしれない。だけど、どうしても「解りました」の一言が返せなかったのだ。…心のどこかでまだ、不二君への想いを大事にとっておこうとしている自分に気づく。なんて滑稽なんだろうか。自分自身のことなのに気持ち悪い気さえしてきて、私は自嘲気味に笑った。
早く決定的な一言を貰って、スッパリ割り切れば良い。解っているはずなのにそれが出来ない自分は臆病者だ。
「さん」
私のことを他の女の子と同様に扱ってくれた不二君。メールのことを思い出すと同時に考えるのは、不二君の笑みだ。でも、そんなのは誰に対しても一緒な対応。期待なんてしてるわけじゃないけど、諦められないのは期待して無いとは言わないんだろうか。出ない答えを胸に押し込めて、私は瞳を閉じた。冷たい風がヒュウ、と音を立てて私の横を通り過ぎた感覚がした―――。
「ちゃん」
そう声をかけられたのは、本日の授業が終わった頃だ。色々考えていた所為で、今日の授業は凄く早く終わった気がする。そんなときだ。ぽけ、と気が抜けたように座り込んでいると、にゅ、と覗き込んでくる顔。にこっと笑う彼女が、クラスメイトだと気づいたのはそう時間はかからなかった。女の子らしい仕草で流れるように垂れた横髪を耳にかけると、女の私でさえドキドキさせる笑みを浮かべる彼女。それから「プリント、出してもらえる?」言われて彼女の手を見ればちょっと厚みのあるプリントが手の中に納まっていた。そういえば今日この子日直だったっけ?黒板を見れば右横隅に書かれている彼女の名前。私は今日提出のそれを慌てて取り出すと、「ごめんね」と言いながら彼女の持っているプリントの上に置いた。ううん、と花のような笑顔を向ける彼女をちょっとだけ羨望の目で見つめてしまう。私もこんなだったら良いのに。これだけ可愛くなれたら良いのに、幾度となく願ったことか。今ではそれが最もおろかな願い事だとわかってしまっている。
すると聞こえる、声。さっきまで笑っていた彼女は声の聞こえた方に慌てて視線を向けると、ほう、と顔を赤らめた。続けて私も見やる。…少し遠くのほうで行われているそれは、毎年恒例の行事だ。もうかれこれ何年経つのかさえも解らない。私たちの視界の先にいるのは、数人の女の子とその女の子に囲まれている不二君の姿だ。先ほど聞こえた声は「誕生日おめでとう!」 それは閏年生まれの彼にとっては仮の誕生日であるけれど、それでも祝いたいという彼女達の気持ちなんだろう。あのうち何人が本気でカレを好きなんだろうか?そう思うのは愚問。全員に決まっているからだ。
「…凄い人気、だね…毎年のことなんだけど、未だに慣れないなぁ」
ぼんやりと考えていると、ほう、と独り言のように呟かれた彼女の台詞が聞こえてきた。真っ直ぐに見る瞳は、きっと不二君の前でしおらしくなっている女の子達と変わらない。…きっと彼女も不二君に恋をしている人の一人なんだろうと直感でわかった。私はすぐに返事をすることが出来なくて、ちょっとだけ経ったあと、小さな声で「…そうだね」と吐き出して、鞄を掴んだ。…胸が、痛い。
笑顔で対応する不二君を見るのも、不二君を呼ぶ可愛らしい声も、全部全部、なくなれば良いのに。―――そう思う自分は凄く汚い。
私はガタと椅子から立ち上がると、不二君たちのいる場所を避けるように反対の出入り口から教室を出た。
すると、廊下には教室を覗くように見ている女の子達。廊下にいる女の子達の何人がカレを待っているんだろうか。そんなことを思うだけで胸が苦しくなる。ぎゅっと寄せた眉のまま、私は足早に廊下を歩いて階段を駆け下りた。早く今日が過ぎれば良いのに。
そんな気持ちのまま靴を履きおえた私。外はからりと晴れていて、思わず眉根が寄るのが解る。嬉しいはずの天気なのに、今はそんな気にはなれない。トントンと靴を履きならすと、生徒玄関を出た。瞬間、掛かる声。
「さん!」
…嘘だ。聞こえた声に、心の中は否定する気持ちがいっぱいになる。
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2007/03/08