体の芯が冷える感じ。
…突きつけられた現実が、―――酷く痛い。
 
 
 

片道切符の終着点

 
 
 
…さん」
 
不二君の声が、どこか遠くのほうで聞こえる気がした。頭がぼうっとして上手く働いてくれない。こんなときこそ、どんどんフル活動して欲しいのに。…私の心とは裏腹に、正常に起動してくれない脳味噌に嫌気が刺す。
ぼんやりとではあるけれど、理解は出来る気がした。目の前に突きつけられた携帯電話。その中に記載されているメールアドレス。そして、不二君のさっきの言葉。頭の中がぐるぐるする。脳内に飛び込んでくるのはここ数日の、由美子さん―――だと思っていた―――とのメールのやり取り。
 
ちゃんは本当に彼のことが好きなのね。でも、きっと彼は不快にも思ってないと思うわ。笑いかけてくれたんでしょう?』
『ダメよ、そんな風に自分を卑下したら。…そんなマイナスにばっかり考えてちゃダメよ。…もっと自信を持って。彼の優しさは本物だと思うわ。話を聞いている上で、そう思う』
『やれるだけのことをやれば良いじゃない?私はちゃんを応援しているわ、何があっても』

 
あれが、全部不二君とのやり取りだったのなら。…私の気持ちは不二君に筒抜け状態だったと言うことになる。ようやく頭の中でバラバラだったパズルが出来上がっていった。そうすれば、もう私は冷静でなんて居られない。どういう気持ちで彼が私の相談事を聞いてくれていたのかは知らない。だけど、これってあんまりだ。フラれたってだけでも辛くて、苦しくて耐えられないのに、それを既に本人に知られていたなんて…今まさに穴を掘って埋まってしまいたい気分だ。カァ、と一気に顔が紅潮していくのがわかった。この場にいられなくなってしまって、ぎゅっと下唇を噛み締めたあと、不二君の顔も見ず、走った。…―――筈だった。けれども、私の次の行動を見越してか、走り出したと同時に、引っ張られる腕。バッと見ればそれは不二君の腕で。それでも放して、なんて言えなくて黙っていると「…ごめん」と不二君が私に謝った。…どういう意味のごめん?黙っててごめん?それとも私の気持ちに対するごめん?もう、どうして謝られているのかさえも解らない。
此処から去りたいのにそうもさせてくれない。恥ずかしさで死にそうだ。解放してくれれば良いのに。また、何食わぬ顔して一クラスメイトとしてやってくれれば良いのに。
 
「…ごめん、さん。…でも、話を聞いて欲しいんだ」
 
顔を合わせられなくて、俯いていると不二君の声が耳に伝わった。恐る恐る見やれば真剣な表情で。あの、碧い瞳が私を捉えていた。…抗うことなんて出来ない。だって、結局私は不二君のことが好きなんだから。
次の瞬間私はゆっくりと、でも確実に肯いていた。
 
 
 
私達がやってきたのは、児童公園だった。そこの開いたベンチに腰掛ける。同じように隣に座った不二君。私は彼の顔が見れなくて黙っていた。沈黙は嫌いだ。けれども、それを悟ってくれたかのように、沈黙になりそうな空間を、不二君が破ってくれた。
 
「…どこから話そうかな…」
 
そう、言ったのは独り言に近いものだった。恐る恐る顔を上げて不二君を見やれば、ちょっと困った様子の表情が窺える。私はもう逃げ出すことなんて当に出来なくなっていた。数秒の沈黙が流れて、それがとても痛い。周りの目もとても気になる。こんなところで、まさか二人っきりになる日がくるなんて、思っても見なかったのだ。
 
「…僕と一緒に帰った日のこと、覚えてる?」
 
そう言ったのは、不二君で私は俯いたままの姿で、静かにコクリと肯いた。…忘れるはず、無い。覚えてないわけないじゃない。あの出来事は、良くも悪くも私に凄い衝撃を与えたのだから。
 
「あの日、由美子姉さんがさんに会ったのは本当に偶然だった。さんを引き止めたのも、姉さんが心から思ってのことだった。…でも、姉さんはあの日君に会う前からさんの顔を知ってたんだ」
 
え…。と、不二君の話を聞いて、思った。…由美子さんは私を知っていた?だって、何処で会ったって言うのか。あんな美人に会ったら絶対に忘れない自信あるのに。そう言った態度が顔に出ていたんだろう。私が何を言うまでもなく、不二君がその謎の答えを教えてくれた。
 
「…僕の、部屋の写真を見たことがあるから、ね」
 
……意味が、解らなかった。不二君が何を言わんとしているのか、既に今の私の脳味噌では理解できずに、ただ不二君の顔を見るだけだ。そうすれば、不二君も私を見て…目が、かち合う。
 
「多分、姉さんは気づいたんだ。僕の気持ちに。…でもさんに声をかけた理由はただ単に好奇心ってわけじゃない。…本当に、心から姉さんは君の事を心配して、何か力になりたいと思って、君にアドレスを渡した」
 
「遊びとか、冗談では絶対無いんだよ」そう続ける不二君の言葉に、私は何も言えなかった。ただ、黙って考える。初めて由美子さんに出会った時の事。…確かに、あの時凄く親身になって聞いていてくれていた。多分あの姿に嘘偽りは無いんだろうと思う。もう一度不二君を見れば、まだ次の言葉がある、と言った風な顔をしたので、私は無言で促した、
 
「…それで、あの日家に帰ったときに、君の事を姉さんから聞いたんだ。勿論話の内容は聞いて無い。ただ、酷く落ち込んでいたって事を聞いて、…いてもたってもいられなくなって、姉さんに我が侭を言ってアドレスを教えて貰ったんだ」
「…それで、突然メアド変更されたんだね」
 
言えば、不二君はこくりと肯いた。気が悪そうに私を見た不二君にツキ、と胸が痛む。それを悟られないように私はポケットで眠っている携帯を取り出した。「…じゃあ、変更される前のメアドは本当の由美子さんのアドレスなんだ」そう呟くと、不二君がまた肯定。肯いたのを一瞥して、また携帯を見つめる。
 
「…ごめんね」
 
謝って許される事じゃない事をしてしまったけど。と言う言葉と共に下げられる不二君の頭。首同様に綺麗な色素の薄い髪の毛がさらりと垂れた。そんな不二君を見て、私に言える言葉なんて「ううん」だけだ。首を横に振ると、不二君がゆっくりとその顔を上げる。それから、続くのは私の声だ。「ねえ」紡いだそれに不二君が私を見つめるのがわかった。…言おうか、言わまいか迷ったけれども、途中まで言ってしまったなら言わねばならないだろう。「何?」今度は不二君の口から一言そう発されるのがわかった。紡がれるそれは、心地よい声音を奏でる。なのに、心臓は今にも操縦不可能なくらいにドキドキしていく。それはきっと相手が不二君だからなんだろう。ぎゅっと握った拳は今やしっとりと汗をかいていて、自分が凄く緊張しているのがわかる。
でも、聞きたいのだ。…疑問が、私の中で渦巻いているのだ。
 
「多分、姉さんは気づいたんだ。僕の気持ちに」
 
確かに不二君は今そう言ったのだ。それは一体どういう意味なんだろうか。自惚れているわけじゃない。彼は優しい人だ。此処まで話を聞いていて、更にその想いは強くなる。
 
「…どうして、そんなに良くしてくれるの…?」
 
その声は震えていた。問いかけた答えは、自分の中では出ている。こういう冴えない子が放っておけない性質なんだろう。だって、不二君は同じようにさっき、そう言った。「いてもたってもいられなくなって」…正義感の強い人、なんだと思う。震える手の平をきつく絞って、俯く。不二君の顔は見られなかった。そうすれば、沈黙。吹き抜ける風の音が妙に大きくて私の鼓膜を刺激する。数秒の後、不二君が口を開くのがわかった。
 
「…解らない?」
 
問いかけられた質問に、一つ間を置いて、コクリと肯く。そうすれば、雰囲気的に不二君がふっと笑った気がした。…俯いている私には不二君の表情を確認する術は無かったけれど、多分、笑っていたんだと思う。
 
「………僕がちゃんのこと、好きだからだよ」
 
それは、メールでは慣れ親しんだ、私を呼ぶ言葉。冷たい2月の風が、私に吹き抜けるのが解った。……それなのに、今、頬は8月の気温のようにとても熱くて………。
 
「…えぇ?」
 
その声は、酷く震えていた。
 
 
 
 
 
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2007/05/20