「ずっとずっと……さんのことが、好きだったんだよ」
その言葉に、私はベンチを立って後ずさり。
片道切符の終着点
言った不二君の顔は真剣そのもので、とても冗談でしょ?と言う事が出来なかった。海の底のようなコバルトブルーの瞳がじっと私を見つめるから、それだけでもう私は動けなくなってしまう。私と不二君との距離はちょっと離れただけで、まだまだ近い。
見つめ合っている時間はそう長いものではなかったと思う。でも私にとっては酷く長く、まるで永遠のようなもの…だったんだ。さわさわと吹かれる風は先ほどとなんら変わらず冷たいのに自身の顔は先ほどよりも、ううん、先ほどとは比べ物にならないくらい熱くなっている。
「ふ、じ…君」
たどたどしい口調で彼の名前を呼べば、彼はふわりと微笑んだ。その笑顔は今は私にだけ向けられるそれだ。いつも皆に向けられる笑みが私に向いている。そう思うだけで、心臓が破裂しそうだった。
今、不二君が私の言葉を待っているのがひしひしと伝わってきた。私自身もそれに答えて「不二君が好き」…そう言いたかったけれど、でも今の私には出来ない。勿論、不二君の言葉を疑ってるわけじゃない。彼の目を見れば、それが嘘で無いことがわかるのだ。…そう、思いたいだけなのかもしれないけれど。
じっと見つめられるのに耐えられなくなって、私は不二君から視線を外した。上気する頬が、凄く熱い。その熱が、今のこの状況を真実だと裏付けているような感覚だ。でも、言えないのは。自分の気持ちを素直に言葉に出来ないのは。
「ブス」
あの日聞いた、私に浴びせられた言葉の所為だ。不二君は一体私なんかの何処を好きになってくれたと言うのか。…気の迷い?物好き?嫌なことばかり考えてしまう。
「ふ、じ…くんは」
震える声で問いかければ、不二君が穏やかに「ん?」と聞いてくれる。コレ以上なく、緊張する。今にも身体が崩れそうなくらい。少しでも気を抜いたら、今すぐへたれこんでしまいそうになる自分の足に叱咤して、ぎゅっと唇を噛み締める。
「不二君、には…私なんか勿体無い、よ」
そう言うのが精一杯だった。ひゅう、と吹き付ける2月の風は容赦なく私の露出した肌を刺激する。それは不二君の鋭い目と同調しているような気がして、更に痛かった。「…何、それ」返ってきた台詞はそれだった。ビクっと身体が強張る。不二君に対して、初めて"怖い"と感じる瞬間だった。口元が痙攣する。見える深い海底色の瞳が、私を映して放さない。不二君がベンチから立ち上がる。…一歩、不二君が私に近づくのが解った。
それが怖くて、次に続く不二君の台詞が恐くて、私は無意識のうちに喋り出した。
「だって、私、可愛くないし、性格良くないし、…私、なんて良い所一つもない…!で、でも!不二君は違う!…皆に期待されて、皆に人気者で、優しくて、強くて、…皆に好かれてるの!皆にとって"必要な人"なんだよ…!」
「…それで?」
一歩また一歩近づいてくる。もう殆ど距離は無くて、それでも私は逃げ出せなくて、ほんのちょっと、後ずさりしながら更に言葉を続けるのだ。
「…それに比べて、私は、私なんか…一人いなくなったって、誰も何とも思わないし、きっと気づか―――っ!」
言いたかった言葉は、ぐいっと引っ張られた腕の所為で、止まってしまった。それから感じるのは強い束縛感。ぎゅうと痛いほどの抱擁に、私の口は閉じざるを得なかった。冷たい不二君のコートが私の目の前にある。…今までずっと夢にまで見ていた状況なのに、素直に喜べないのは、不二君から怒の感情を感じ取ってるからだろう。
「さんは…何も解ってないよ」
搾り出すような声が、私の耳元で聞こえた。囁く、と言う甘いものではなく、悲痛にも似た声色に、言葉が出ない。不二君の腕の力が更に強まるのが解った。骨が軋むほどに抱きしめられた私は、身体が凄く痛い筈なのに、何故か心のほうが痛かった。それは、抱きしめている筈の不二君が痛そうだったからに違いない。…傷、つかせてしまったんだろうか。ぎゅう、ぎゅうと一体その細い身体からどこにそんな力があるのか、疑問に思うほどの強い束縛。…やっぱり彼も男の子なんだと、気づく。ううん、男の子じゃない…男の人…なんだ。
「…さんは何も解ってないよ…君は誰も気づかないって言ったけど、僕は気づく。何とも思わないって言ったけど、僕は辛いと感じる。…それほどに、僕はさんの…のことを想っているのに…!」
私の肩に顔を埋めながら言う不二君の声は、酷くくぐもって聞こえた。…視界が、ぼやけるのに気づく。私、今泣きたくなっているんだ。きっと今泣いたら不二君のコートに涙が移っちゃう。そう思うから泣きたく無いのに、どんどん視界がぼやけていく。
「…は、知らないんだ。気づいてないだけなんだ。…少なくとも僕は、の良い所を知ってるよ。毎日教室の花瓶の水変えを朝早く行ってしてることとか、どんな嫌な事でも与えられた事は精一杯やってることとか」
不二君の声が、耳に届く。ああ、知っててくれてたんだね。そう思ったら堪えていた涙がぽたりと零れ落ちた。それは不二君のコートを濡らして行く。小さく漏れる嗚咽はもう隠せなかった。不二君はそれに気づいたのか、ずっときつく抱きしめていた私の体を優しく包むように抱きしめる。そして、良い子良い子するように私の頭をそっと撫でた。
「小学校低学年のバレンタインの日、酷い言われようをされていて、それでも雰囲気が悪くならないように"ごめんね"と笑って誤魔化していた気遣いとか」
「…っ」
「その後一人教室に残って誰にも気づかれずにすすり泣いていたの優しさとか」
ずっと、知っていてくれていたんだ。今の不二君の声はいつもよりもずっとずっと優しい。
「……そんなの事、小学校の頃からずっと見てきたんだ。…あの頃から、ずっとずっと僕はのこと好きだったんだよ。いつか、本当の笑顔で、僕に笑って欲しいって、ずっと思ってたんだよ。それほどに、僕は君の事が好きなんだ」
不二君の指が私の頭を抱えるように後頭部に回った。ぐいっと押されるのがわかって、私の顔はぴったりと不二君の服にくっつく。涙が全て不二君のコートに移るのがわかった。「それなのに」不二君の声が、震えているのに気づく。
「…僕の真剣な気持ちを、…否定しないでよ」
ごめん、ごめんね。私は誰よりもこの人のことを好きだと、ずっと思っていた。でも、それは思っているだけなら、誰よりもなんて言えない。一番なんて言い切っちゃいけないのだ。そして、さっきの不二君の気持ちも、嘘じゃないって思ってた。なのに、「勿体無い」の一言で片付けたらそれは否定したも同然なのだ。気づいて、更に涙する。
「ご、めんなさい」
漸く出てきた言葉は、今までで一番気持ちの篭った、謝罪だ。
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2007/05/22