「…ごめんなさい」
謝罪は不二君に届いただろうか。
片道切符の終着点
抱きしめられた身体が解放されたのは、それから直ぐだった。「?」と泣きじゃくる私を心配する声が聞こえる。私は結局不二君の事を何も解ってなかったのかもしれない。誰よりも何よりも不二君が好きだと思っていたのに、余りにも自分の事で精一杯だった自分が恥ずかしかった。そんな自分が一丁前に愛を語っているのが滑稽に思えた。紡ぐ謝罪の数々。何度目かの「ごめんなさい」を言った後、不二君の指が私の頬を撫でて「もう良いから」と静止した。
「…僕は、の気持ちが知りたいんだ」
「き、もち…?」
「周りから見たらどうなんだろうとかそんなのどうだって良い。一人の…に惚れてる不二周助の気持ちをどう思うか。…それが知りたいんだよ」
…言われて、私は黙りこくった。…周りの目を全部なくして、自分を見る世界を取り去って考える。不二君は私を好きだといった。その気持ちにどう応えるか。
…そんなの、決まってる。そんなの、そんなの
「…好き…っ」
その気持ち以外、私には無いのだ。不二周助が好きだ。天才とか人気がどうとか、そんなの、そんなのどうだって良い。私は、私に声を掛けてくれる優しい不二君が好きだ。言った瞬間、不二君がまた私を抱きしめた。今度は優しく。さっきみたいな激しさは無い。痛みも無い。安心と、心地よさを感じさせるそれだった。無意識のうちに笑顔がこぼれる。
「そう、その笑顔」
「え…?」
「…僕のその笑った顔が何より好きだよ。…やっと、手に入れた」
「嬉しいや」…そう囁く不二君の声は、年相応のイメージをくれた。今、笑ってくれてるんだろうか。私の後頭部を抱え込んで、すっと顔を摺り寄せてくる不二君の仕草。…勿論嫌じゃない。恐る恐る腕を上げて、ぎゅっとしがみつくように不二君の背に手を回した。
それからどれほどの時が経ったのだろう。もう日はスッカリ暮れているのだけは解った。抱きしめあった腕を放して、「さ、帰ろう」と促された声にコクリと肯けば不二君の手が私に差し出された。ドキドキしながらそれに自身の手をのせれば、きゅっと優しく握ってくれるから、弱々しく握り返すと、不二君の柔らかな笑顔が目に映った。
そして、同時に歩き出す。…どこか、気恥ずかしかった。久しぶりに大泣きした所為で顔はいつにも増して絶対不細工に違いない。それでも不二君は離れないでいてくれる。そう思うと嬉しいけれど、やっぱり私は顔が上げられなくて俯きながら歩いていると、不二君が手を繋いでいない手――右手――で私の頭をぽん、と優しく叩いた。
顔を上げると「どうして俯くの?」優しい笑顔で問いかけられて、カァと顔が赤くなる。また直ぐ俯いて「だって」と呟きながら泣き顔のことを言えば不二君がくすっと笑うのが解った。それにもう一度顔を上げれば。ギュっと鼻をつままれて…固まる。
「馬鹿。馬鹿だよ、は」
「だ、って」
「周りを気にしすぎ。…僕は可愛いと思うよ?」
余りにもさらりと言ってのけてしまうから、私は何も言えなくなる。不二君の微笑は有無を言わせない。抗議しようにも出来なくなってしまって私は数度口を開け閉じした後結局何も言えなくて口を噤む。…夢、みたいだ。いや、実際は夢なのかもしれない。でもそれならいっそ冷めないで欲しいと願う。握った手の平の温かさも、なくならないで欲しいと思う。
そうまで考えて、はっと我に返った。
「あ、由美子さん」
名前を紡げば不二君が「姉さん?」と返した。私は「そう」と肯いて不二君を見上げてまた言葉を続ける。「お礼、言わなきゃ」言えば、不二君が一度きょとんとした後、ふわりと微笑んだ。それから、一度強く手を握って。
「そうだね…じゃあこれからうち寄ってく?」
「……良い、の?」
「勿論。…上手くいったのは姉さんのお陰だし……勿論帰りは送っていくよ」
「どうする?」それは質問の筈なのに、選択肢なんて無いに等しい。私は二つ返事でOKすると、不二君が嬉しそうに笑った。
「決まり」
笑った瞬間言った台詞と共に、ぐいっと繋いだ手を引っ張られる。繋がっているから自ずと私も急ぎ足で駆け出した。そして取り出す携帯電話。2、3携帯のコール音が私の耳に木霊した後、慌てた声が聞こえた。私を呼ぶ声だ。…それだけで泣きそうになる。
「どうしても今日話したいことがあるんです」
今から家に行くから待っててください。そう言えば電話越しの雰囲気が変わるのがわかった。さっきの驚いた声じゃない。気まずそうなオーラはそこに無く、次に返って来た言葉は。
『…じゃあ、ラズベリーパイ用意して待ってるわね?』
優しい、落ち着く声色だった。顔が見えない筈なのに、今由美子さんは笑っている。―――そう根拠も無く思う。まだ伝えてないけれど、きっと由美子さんにはバレているんだろう。小走りで街中を駆け抜ける。電話の受話器を切って、手を引いて走る不二君を見上げれば、笑顔。「良かったね」聞こえる声は私の心を酷く落ち着かせる。私はコクリと肯くと、繋いだ右手にぎゅっと力を込めた。離れないように、放さないように。きつく、強く、ぎゅっと。
明日の事を考えると、凄く不安になる。周りの目が怖くないといったら嘘になる。逃げ出したくなる。だけど、もう逃げない。自分を卑下しない。私は私なりに頑張るんだ。…だって、自分を否定してしまったら、私を好きだと言った人達を否定することになってしまうから。
だから怖いけど、もう逃げない。
「うえー俺いらね!ブサイクから貰っても嬉しくねえし」
あの言葉を思い出せば、まだ胸は痛むけど…でも、大丈夫な気がする。手を握って一緒に歩いてくれる人がいるから。「好きだよ」と言ってくれる彼がいるから。
変わって行こうと心から思う。そう気づかせてくれたのは。
「不二君、有難う」
不二君には届いたかな?
ずっと行き場の無かった片恋列車。私の心の中にあった、片道だけの切符。絶対行き着く先はなんの光もないものだと、そう思っていた。だけど、わからないじゃない。
行き着いた先は両思いと言う駅。片道だったから良かったんだと今なら思える。だってもしこれが往復切符なら私は今頃引き返していて、今でも変わろうとしないままだったもの。まだまだ不安定でちょっとしたことでくじけてしまいそうになる私だけれど、出来るだけ頑張ってみるから。だから、見ていてくれますか?
そう言ったら優しい不二君のことだから、きっとこの手を放さずに見守っていてくれるんだろうね。
―――私が乗った片恋列車の行く末にあったのは、ずっとずっと憧れていた「光」でした。
―Fin
あとがき>>長い後書は15にて。
2007/05/21