片道切符の終着点
―彼女と彼の好きな人―
由美子とメールをし初めて二週間が経とうとしていた。バレンタインは刻々と近づいて、気づけばもう明日に迫っている。は、未だに迷っていた。…彼にチョコを渡すのかどうか。
…だってまだ…私は立ち直れていない。
だけどその反面、いつも渡せないのに、今年もしっかり買ってるチョコレート。はそれを落さないようにしっかり両手で持って、じっと見つめていた。すると、携帯がピカピカと鳴って、メールが来たことを知らせる。いつも鳴るあの音楽ではないことから、送信者の顔を思い出す。…一人だけ、唯一音楽の違うように設定した相手。彼女、由美子からのメールだと気づき、は携帯に手を伸ばした。…話を聞いてもらおうと思ったのだ。
メールの始まりは、「今日は何があった?」と言う至極普通の内容からだった。もうメールを始めて2週間となるが、殆どお決まりの台詞だ。はふっと笑うと今日あった出来事をメールに綴った。と言っても彼との接点が殆どないは、彼と話したこと。とかそういう話ではない。今日は彼が日直だったのだと言う話をした。
送信完了の文字を確認すると、は携帯電話をぱたりと閉じ、そしてまた鎮座している赤い包みのチョコレートを手に取った。
…次に返事が返ってきたら、相談に乗ってもらおうかな…?
ブーブーブー。静寂な部屋に、携帯のバイブ音が鳴った。もう返事が返って来た。まだメールを確認していないにも関わらず、何の根拠もなしにそう思うと、クリーム色の折り畳み式携帯に手を伸ばし、パカリと開けた。明けるとやっぱり。と予感が的中する。
「…からだ」
受信者の名前は、先ほど悶々と明日のバレンタインについて考えていたからだ。メールをスクロールすれば、メールを始めた頃より幾分か慣れたといった文章が陳列しているのがわかる。メールの内容は今日彼が日直だったと言う日常報告だ。
『気だるげにそうなのに、最後まで仕事をやってましたよ。早くテニスがしたいからって。…それ見て、ああ本当にテニスが好きなんだなって思っちゃいました。…それでやっぱり、彼凄くモテるから、今日のプリント回収なんて女の子が沢山…』
気だるげ…なんてそういう風に見えないようにやっていた筈なのに、彼女はちゃんと彼の…僕のことを見ているんだな。それが嬉しくて、彼はクスリと笑みを漏らした。
彼女――は、知らない。今メールしているのが同じ不二でも由美子ではなく、弟の周助の方だと言う事を。また、不二もそれを言わずにいた。不二は一通りの文章に目を通すと、早速返信機能を使って、文章を打ち始める。勿論、いつも使う自分の口調ではなく、不慣れな女の――姉の口調を、だ。
『そう言えば明日はバレンタインだけど…ちゃんはどうするの?』
簡潔に打ち込んで、携帯のディスプレイを暫く見つめた後、小さく笑みを溢しまた彼女からの返事を待つ。…こんなにメールをしていてわくわくする。なんて彼女以外に有り得た事が無い。それほどとのメールは不二にとって楽しみなものだったのだ。
数分の時間が経過した後、また自室に響き渡るバイブ音。3度目程鳴ったところで携帯を開けばやっぱりからの返事だった。内容は、こうだった。「悩んでいる」とチョコは買ったと言う事から、渡す気があると言うことは解る。だけれど、彼女にはまだ勇気が足りないのだ。それは小学校のときに付けられた、大きな、大きなトラウマ。―――不二はあの日の出来事を思い出してはいつも悔いる。どうして、あの時自分は彼女を守って上げられなかったのだろう。やろうと思えば出来た筈だ。だけど、不二も同様に勇気が無い一人だったのだ。結局あの頃の自分は見ているだけだった。それがずっと心のどこかで引っかかっている。あの時を助けたら今、彼女は自分にも笑いかけてくれていたのだろうか。花や金魚に向けるようなあの柔らかな笑顔を、慈しむような微笑を自分にも向けてくれたのだろうか。そうふと思うことがある。―――いつか、向けられたいと思う。
不二は由美子口調でまた返事を打ち込むと、今度は数分もたたないうちに返事が返って来た。
『はい、私が、あげても良いのかな…迷惑じゃないかなって』
開いて小さく息を吐く。彼女はやっぱり自分を卑下している。自分は可愛くないのだと、自分は駄目なのだと。そう思っていたら実際は可愛いのに、実際は駄目じゃないのに自己暗示にかかってしまうものだ。不二はぎっと唇を噛み締めると、即座に返事を打ち込んだ。
『また自分を卑下してる、ダメよ?迷惑かどうかなんてちゃんが決めることじゃないでしょう?』
は、彼女は解っていないのだ。自分がどれほど凄い人間なのかを。どれほど優しい心の持ち主なのかを。もっと自信を持てば良いのに。過剰になりすぎるのは良くないが、こうして否定ばかりしていてもよいものではないのに。そう本人に面と向かって言うことが出来たらどんなに良いんだろうか。由美子の名前を借りた自分じゃなく、不二周助本来の自分なら、の長所を述べよと言われたら何時間だって語ってあげられる自身があると言うのに。それが出来なくて、歯がゆかった。結局自分は見ているだけなのか…。そう思うと切なかった。
『やれるだけのことをやれば良いじゃない?私はちゃんを応援しているわ、何があっても』
文末にそう打ち込むと、不二は送信ボタンを押した。…これで、彼女は決断してくれるだろうか。…自分は、ずるい。こうしてのためと思いながら、結局は自分が彼女からのチョコレートを貰いたいだけだ。そして、自分が告白するチャンスを作っているだけなのだ。弱っている彼女を、救いを求めている彼女の気持ちを利用しているようで不二は心苦しかった。それでも、貰えないと言う結末は嫌なのだ。
数分後に返って来た返事の内容は『頑張って見ます』と言う一言だった。だがその一言に彼女の強い気持ちを感じさせるのは十分だった。不二は「頑張ってね」と一言激励を送ると、パタンと携帯を閉じた。多分今日のメールは終わりだろう。そう思うと残念な気持ちになるが、不二は明日に備えて少々早めの就寝をすることにした。
目を瞑れば、の顔が浮かび上がる。…明日、彼女はどんな顔をして学校に来るのだろうか。そう思うと、いつもは憂鬱だったバレンタインデーが待ち遠しかった。それはまるで、他の男子達とちっとも変わらない、気持ち。
バレンタインデーはやっぱりと言う感じで、不二は登校中に早くもつかまってしまっていた。そんな彼女達に笑顔を浮かべると、毎年の如くそれを受け取った。
「今年も不二の人気は凄いにゃ〜」
一部始終を見ていたのだろう。1年の女の子を最後に、チョコレートを受け取った後かけたれた声に、不二はそのままの表情で振り返ると後ろにいる相手の名前を呼んだ。「英二」言ったら菊丸は「よ!」と軽い挨拶を返す。が、いつもと違うのは身振り手振りが無いことだ。その意味は見ればわかるのだが。
両手に下げている紙袋。それが何を意味するのか、勿論不二は知っている。―――チョコレートだ。
「英二には負けるよ」
それを一瞥した不二はくすりと笑って菊丸の手にしている紙袋を指差した。そうすれば菊丸は一度そちらに目を向けて「にゃはは」と笑う。まあ俺チョコレートとか好きだしねん。と続ける言い様に不二はもう一度笑みを浮かべると、菊丸と共に歩き出した。目的地は一緒なのだ。3年6組。肩を並べて歩きながら他愛も無い話をする。それに相槌を打ちながら階段を上った。その間にも何処とない視線を感じずにはいられない。毎年恒例の事なのだが、今年の不二は違っていた。自分は今、ドキドキしている。今年は、違うのだ。からのチョコレートが貰えるかどうかがかかっている。柄にも無く、心穏やかではいられなかった。
教室に入った不二たちは、「不二君!菊丸君!」の声に振り返った。すると、あっと言う間もなく、あっさりと二人は女子生徒に囲まれてしまう。手には綺麗にラッピングされたチョコレート。不二は、早くからもらえないかな。と心の中で考えつつ、笑顔で義理チョコらしきチョコだけを受け取ると、教室に入った。途端合う、との目。それは一瞬の出来事だった。微笑む暇も無いほどの短時間。俯いてしまった彼女を見つめて、不二は席に入っていった。あの反応は…本気で自分は期待しても良いのだろうか。今日は、いつもにも増しての一挙一動が気になって仕方がなかった。
あっという間に、時は放課後。部活も引退した不二や菊丸は、何をするでもなく教室に残っていた。正確には不二はからのチョコを。菊丸はクラスの違う大石待ちだ。不二と菊丸は二人向かい合うように座りながら他愛も無い話をしていた。すると、掛かる声。―――「菊丸くん!」緊張してます感ばりばりの上ずった声に、呼ばれた本人が顔を上げた。そうするだけで、目の前の女の子が顔を真っ赤にさせる。そんな反応を見せられて、わからないほど不二も鈍感ではない。「話があるんじゃない?」と菊丸に促せば、菊丸が立ち上がった。クラスメイトである女子の顔は今やもう茹蛸のように真っ赤である。「大石に待っといてって伝えてくれるかにゃ?」と不二に伝言を終えた後、菊丸は女の子と共に教室を出て行ってしまった。
…願ってもいないチャンスだった。もしかしたらから声をかけられるかもしれない。いつもはにぎやかな教室は、ガランとしてしまっている。おおかた、男子達は一人の時間を作ることに必死になって教室を出て一人ブラブラしているんだろう。そこを女子生徒が躍起になって探すのだ。今までは何とも思っていなかったバレンタイン。だが今年は違う、立派な参加者なのだ。そう思うと、年甲斐もなくドキドキしたりして。
「…ふ、不二君…!」
さっきの子のような上ずった声が不二の耳に届いた。誰か、なんてそんなの愚問だ。いつもどおりの(もしかしたらそれ以上に優しい)笑みを浮かべて、名前を呼べば、正解の彼女が顔を強張らせた。それから、もじもじと。緊張しているんだ。それが伝わってきて、不二の鼓動も早くなるのがわかった。
「どうしたの?」
解っているくせに聞いてしまうのは、ずっと待たされたタメの意地悪だろうか。問いかけられたは瞳を見開くと、そのままの状態で不二を見つめた。それからまた俯いて、―――小さな、小さな声で言葉を紡いだ。
「き、くまる…くん、は?」
それに対して、先ほどまで菊丸が座っていた隣を見てからまたを見つめる。そして、「今、呼ばれて行っちゃったけど」と軽く返答を返すと、彼女はチラと見つめた後、「そう」と小さく落すように言葉を発した。
「僕に、何か用?」
煮え切らないこの状況に、ついに不二が痺れを切らして本題へと無理やりに連れ込む作戦に出た。の身体が強張るのが解る。は揺らめく瞳のまま不二を見下ろして―――そして、小さく息を呑むと、意を決して口を開いた。
「こ、れ」
そう言って不二の前へと差し出す。それは綺麗にラッピングされたプレゼント。それを何?なんて言うほど、不二も鬼では無い。目の前には今にも倒れそうな程震えているの姿を目にして、自分にまでその震えが移りそうだった。
ずっと、ずっと心待ちにしていた彼女からの本命チョコ。そう思うだけで、手に汗をかいてしまいそうだ。それほどまでにも待ち遠しかったチョコレート。不二は自分の鼓動が早くなるのを感じた。そして、の名前を呼んで紅くラッピングされたそれに手を伸ばした。
「ふ、じくんには迷惑だって、解ってる…んだけど」
「そんなことないよ」
震えているを出来るだけ安心させてやりたくて、不二はいつになく優しい笑みを浮かべる。そうすれば、がつられるように、ようやくその強張った表情を緩めるのだ。ふわ…と柔らかな曲線を浮かべたそれに、不二の胸は高鳴る。
ああ、僕はこの笑顔が見たかったんだ。
ガラにもなく見惚れてしまいそうになって、受け取ろうとした手が止まっていたことに気づく。それから、「迷惑なわけ、ないよ。さんのチョコレートだもの」と、返せば、の顔が更に紅くなるのが解った。
「不二君は、優しいね」
「違うよ、僕は―――」
「でも、本当にごめんなさい。…本当は、自分が渡さなくちゃいけないのに…勇気が、出なくて」
これから告白。さあ自分の気持ちを返すとき。と意気込んだ言葉を、不二は飲み込むこととなった。何やら可笑しな台詞だと言うことに気づいたのだ。「え?」と不思議に思って言えば、と目が合って。それから、またもじもじと手を弄ぶ。
「…ずっと、ずっと渡そう渡そうって、思ってたんだけど…いざ思うと、出来なくて……菊丸君、チョコレートとか、大丈夫…だよね?」
今、何と言っただろうか。目の前の彼女は。自分の頭が上手く働いていないんじゃないかと錯覚に陥ってしまいそうになるほどの言葉。でも紛れもなく真実で。「も、しかして…」と恐る恐る言葉を紡ぐ。
「さん…英二のことが、…好き、なの?」
出来れば当たって欲しくないものだ。そう強く思ったのに、目の前の彼女の反応を見れば、一目瞭然だ。一気に真っ赤に染まる頬は、もうこれ以上紅く出来ないと言うほど色づいていて。…形のよい唇はどう返答すればよいのか迷っているのか、開閉を繰り返している。けれども、それは数秒の事で。次の瞬間。
「う、ん…」
そう、確実に肯いたのだ。
金槌で頭を強打されたような感覚が不二を襲った。そこで、気づいたのだ。のクラスは出席番号順の日直の決め方ではない。今の席順で決まるのだ。隣同士の人とペアになるので、席が替われば相手も変わる。そういう新鮮な(のかはわからないが)決め方だった。不二はそれを思い出し、にバレないように項垂れる。今、不二の隣は菊丸その人だったのだ。つまりは、昨日のメールのことは、自分のことではなく、菊丸の事を言っていたのだ。…そういう、ことか。結局は自分の勘違いだったわけだ。由美子はそれを知っていて不二にのメールアドレスを教えたのだろうか?そう思うと実の姉ながら「何てド黒い…!」と思わずにはいられない。…まあ、気づいていないだけで不二も十分ドス黒いのだけれども。
返事が帰ってこないことに、疑問を抱いたのか、数秒後、が不二の名を呼んだ。心の中はかなり動揺していると言うのに、それでも笑顔を作ってしまう自分を我ながら凄いと褒めてしまう。鉄壁の笑顔はこんな事でも崩れないことが今証明されたのだ。
「上手く行くといいね」
「あ、…う、うん…」
不二の大きな誤算は、菊丸の事を頭に入れていなかった事なのか。どこで道を踏み外してしまったのか。良くわからなかった。が去っていき、ただぼんやりと教室で一人考える。菊丸が返って来たのはそれからすぐしてだった。
「ごっめんにゃー不二!…大石こなか…った、か…ひ!」
「ああ、英二…お帰り」
だけれどもそんな中でも解ることは、…敵は案外近くにいる、と言うことだ。笑顔で菊丸に声をかけると、明らかに教室を出る前と態度が違うことは明らかで…菊丸は身の危険を感じ、言いかけた言葉を飲み込んだ。そして、目についた紅いラッピングのそれ。
「あ、あー…っと、それ…綺麗なラッピングだねん!」
「………」
「え、あ…あれ?ふ、不二ぃ…?」
「ふ、ふふふ」
それが、地雷投下だとも知らずに。次の瞬間、菊丸英二の断末魔の叫びが校舎に響き渡ったとか。そして、その日をさかいに、不二の菊丸に対する態度が一変したとかしないとか。
「一体何がどうなってんだよぉ!」
知らぬは本人ばかりなり。こうして、泥沼な三角関係は幕を開けるのであった。果たして、勝者は…?
― Fin
あとがき>>本編中、ずっと書きたかったネタ。でもプロットもロクに立てていなかった上、意外にも連載が長引いてしまったこともプラスされ、当初の目的のオチとは全然違うものに…。全然笑えないけれどもギャグのつもりだったのです。本編が白不二なので、番外編では黒不二に…!…やっぱり無謀でした(笑)
もしもネタなので、本編とはリンクしているようでしてないです(笑)別物として考えていただけたら嬉しいです^^
2007/05/27