天は二物を与えない。
そう昔の人は言ったけど、それは絶対に嘘だ。
だって、もしそれが本当であったなら、こんなに人と人の間に差が出来ることなんてなかっただろう。
実際は天を味方につけ二物を与えられた人もいれば、一物も与えられなかった人が居るに違いない。
だって、私は一体何を与えられたのかわからない。
そう言ったら、信者の一人は『素敵な命を与えてくださいました』とでも言うのだろうか。
・・・実にくだらない理想論。
現実とは、時として残酷である。思い通りには動いてくれない。それが世の中と言うものである。まるで何処かの小説の一文のような事を、思った。
目に映る人物を、幻想だと思いたい。けれどその幻覚は私の意に反して近づいてくる。「あ、」幻聴まで聞こえてきた。「ふ、じ」幻聴に返事をするあたり、私もとうとうキてしまったか、と思ったが、それが現実のものだと気づいたのはその後直ぐだった。「今帰り?」こくりと頷くと、「じゃあ一緒に帰ろう」と、次の返事を言う前にぐいっと腕を引っ張られて、あれよあれよと言う間に私と不二は一緒に帰ることが決定的となっていた。頭がついていかない。一体何の状況なのだというのだろう。そもそもは?疑問は拭い去ることが出来なかったけれど、触れられた不二の手を振り払うことなんて私には出来なかった。
てくてくてく、と無言を決め込んで歩く。そういえば不二と一緒に帰るのって初めてじゃないだろうか。気づいてしまうとさっきまでの緊張が可愛らしく思えるほどそれは増えた。ドッドッドッドッド、そのうち心臓が壊れてしまうんじゃないかというくらい早くなる。呼吸困難で死んでしまうかもしれない。とも思う。だけれど実際はそんなこと全然あるわけがない。ちらりと不二を盗み見れば、涼しい顔の何も変わった様子の無い不二。一体何を考えているのだろう。三年間同じクラスで、長いこと友人をしてきたけれど、不二という人間はまだまだわからないことだらけだ。
カツ、コツ、と二つの靴の音が響く。
初めての下校。一体どういう風の吹き回しだと言うのだろうかと考えていた私に、一つの答えが浮かび上がってきた。
もしかして、と付き合うことになった、という報告だろうか。がこの場にいないのはそれを報告するのが照れるから不二に任せた、とかそういうことなんだろうか。それならば、少し納得だ。真昼間の教室でカミングアウトなんてしようものなら大騒ぎになること間違いないのだから。
あ、想像して凹んできた。
厭なことを考えれば浮上するのは難しい。はあ、とため息が零れた。そうすれば「クス」って笑い声が零れて、見上げれば、不二の笑顔。破滅的にカッコイイ。そんな小さなことですらこの胸の鼓動は大げさになる。三年間、良く耐えたよ、本当。誰に言うでもなく思った。
「疲れてるみたいだね」
「まあね。不二は疲れてないみたいだね」
「まあね」
短い台詞一つ一つさえも愛おしく思ってしまう。どんなにどん底に陥っても、不二の言葉を聞けば、どん底の中ですら、喜んでしまう自分に気づいた。
―――・・・の好きな人、なのに。ツン、と鼻頭が熱くなる。それを押しとどめるために、私は早口で捲くし立てた。
「だよね、不二にとっちゃ慣れたもんだよね!で、今日は何個貰ったのよ?」
「え」
「え、じゃなくて。チョコよチョ・コ!モテモテの不二の事だからまあいっぱい貰ったんだろうけどっ」
うらうら〜と不二を肘で突きながら、茶化す。もっとも避けたい話題なのに、他に話す内容が無くて、結局出してしまった。自分から。でも最悪な出し方だ。
此処まで自分の思い通りに進まないといっそ清々しくて泣けてくる。ぽかん、としていた不二の表情が苦笑に変わる。
「悪いけど、貰ってないよ」
それは私の聞き間違いだろうか。不二と帰っていると言う現実が嬉しすぎて妄想しちゃってるのかもしれない。だって、不二が一個も貰ってないってありえる筈が無いのだから。
「え、」思わず、突いていた腕は止まって、不二を見つめてしまった。そうすれば、飄々として、変わらない不二の顔。
「貰って、無いって聞こえたんだけど」
「うん、貰ってないって言ったからね」
飄々とした態度の不二は、やっぱり計り知れない。こういうところがむかつく反面、かっこいいとも思ってしまう。むかつくと思うのだって、心底私が不二にほれているからくる悔しさだ。
涼しい顔の不二をじとりと睨みつける(と言うか、凝視しているだけなんだけれども)と、不二は私の視線に気づいたらしい。
穏やかな笑顔で『信じられないって顔』と指摘された。
その通り、私は不二の言葉が信じられなかった。だって、去年なんて鞄に入りきらないくらいチョコ、貰ってたのに。噂では校内一貰ったとか、余りにも貰いすぎて一人じゃ持ちきれなくてお姉さんに迎えに来てもらったとかなんとか(真相はどこまでなのかわからないけれど、実際チョコを見た私から言わせればあながち嘘じゃないだろうと予測している)
それなのに、その不二が。今年に限って貰ってない、なんて。そんなこと、有り得るわけがないと思っていたのだ。
もう一度、確認するように『貰ってないの?』と訝しげに聞くと(だって本当に信じられない!)、でもやっぱり不二の様子は変わる事無く、肯定をされてしまった。
そうすれば、疑問が出てくる。『どうして?』と言う不思議だ。思わず、込み入ったことだと知りつつも、尋ねてしまった。
すると不二が一度足を止めて、私を見る。それだけでドギマギして。でも絶対それを悟られたくなくて、一瞬身を固くしたが直ぐに平静を装った。
「だって、が言ったじゃない」
「え・・・」
言われて、思い出すのは、あの時の言葉。
『他の子からもいっぱい貰ってる不二にあげるチョコレートなんて生憎持ち合わせてないのよ!チョコ代が勿体ないわ!!』
思い出してあっと顔を不二に向ければ、不二はにっこりと笑っていて。「今日は一個も貰ってないからから今年ももらえるよね?」と続けた。これは、どう解釈すれば良いのだろう。頭が上手く働かない、けれども、ふっと思い浮かんだのは誰でもない、友人の顔だった。だって、放課後二人で会ってた筈なのだ。その時に絶対チョコを渡していた筈。これは不二が嘘をついているということになるのだろうか。
「なっ・・・ば、馬鹿じゃないの?だ、大体、からのチョコはどうしたのよっ!」
「え?さんからは貰ってないけど・・・」
言われた言葉に、ヅカン、と殴られた気がした。気が遠くなる。不二の事、今までだって全部解ってたわけじゃないし、寧ろ解らない事だらけだったけれども、今回ばかりは本気で解らなかった。何を思って不二は、そんな事をしたのか。
思ったら、怒りがこみ上げてくる。
『喜んでくれるかな』と昨日チョコを見ながら言っていた。女の私から見ても本当に可愛くて。嫉妬だってした。どうして、私はみたいになれないんだろうとか、どうしてみたいな良い子が不二を好きなんだろうかとか、思って悩んだ。不二がを好きにならなければ良いのにって思った事もあった。けれど、でも。実際そう言うのを目の当たりにしたくはなかった。綺麗事かもしれないけれど。でも。矛盾してるけど、だけど。
「な、んでよ!なんで、そんなことするのっ!?を、傷つけないでよ!」
「え、?」
「不二は、酷いよ!いくらなんでもこれはやりすぎだと思う!不二は軽いつもりかもしれない、でもされた人間の気持ちもわかってよ!不二の何気ない一言が、不二の何気ない行動が時として人を傷つけるんだよ!」
今の私は、本当に醜い顔をしているという自覚があった。でも、言葉が止まらない。だって、は真剣だったのだ。不二の事、本気で好きだったのだ。それなのに、私をからかうために彼女のチョコを断ったのだとしたら、いくら不二でも許せなかったのだ。
「不二はっ、不二はからだけチョコを貰えば良い!私は不二にチョコなんてあげない!不二は、不二はっ」
『と付き合えば良い!』
叫んだ声は痛いほどに耳を刺激した。シン、と静まり返る路地は、冷たく。は、っと顔を上げて我に返ると、そこには不二のいつもの笑顔は無く。
「・・・わかった」
ただ、不二がそう呟くように言った言葉だけが私の聴覚を刺激した。
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