抱きしめてKissをしよう




と付き合えば良い!』

言った言葉で、不二を傷つけたと気づいたときには、もう遅かった。
それでもやっぱり私は「ごめん」も「言いすぎた」も気の利いた言い訳も何も紡げなくて、ただ黙ってその場を逃げ出すことしか出来なかった。
なんて、幼稚なんだろう。年齢だけ重ねても、身体だけ大人になっても、中身がちっとも成長してない。
どうして自分は人を傷つけずには生きていけないんだろう。
いや、人を傷つけなければ生きていけないのは誰しもそうだし仕方ないことにしても、どうして私は『不二周助』を傷つけなければ生きていけないんだろう。
結局渡せなかったチョコレートは鞄の中に入り込んだまま。その日は、眠れなかった。



十五日になった。私の心とは裏腹に、雲間からからりと晴れた太陽が覗く。今日はきっと快晴になるだろうことが予想されて。私は足取り重く学校へと向かった。
不二にどういう態度を取れば良いのか、昨日散々考えたけれど、結局応えはいまだ出ていないまま。それでも私は行かなくちゃ行けない。鉛を詰め込んだような足で教室の扉を開けると、昨日の名残は全くなく、平穏な日常が繰り広げられていた。
「おはよう」とあちらこちらから掛かる声に私は挨拶をそこそこに自席へ向かう。
もう、不二は席についていて―――と話している姿が見えた。彼女の頬は何処と無く高揚している気がする。ズキリ、胸が酷く痛んだけれど、それで傷つくのはお門違いも良い所だ。
・・・自分がそうなるように仕向けたクセに。

私は目頭が熱くなるのを押さえ込む。大丈夫、きっと上手く行ける。そう心の中で自分自身に暗示をかける。だって、今までだって隠してきた。
心の中でそう小さく呟いて、意を決してそこに躍り出た。そうすれば、が「おはよう」といつもと変わらぬ笑顔をくれる。私もいつもどおりを装って挨拶を返して席についた。不二からも「おはよう」と挨拶が交わされる。いつもと変わらない朝の風景。でも、どこかそれに違和感があって。・・・またズキリと胸が痛んだ。気を紛らわせるために時計を見つめると、そろそろ予鈴のころあいだ。
カウントを心中で数えて、数秒、普段どおりにチャイムが鳴った。がはっと気づいて立ち上がる。「じゃあまたね、バイバイ」と可愛らしく手を振って自分の席に帰っていく彼女を目で追いかけて、私は誰にも気づかれないように小さく息をついた。





六時間目の終了のチャイムが鳴った。そろそろ終礼の時間になる。何だか時の流れが速い気がした。でも、気分は最悪だ。私は今、保健室に居た。ぼちぼち保健室の教諭に「起きなさい」と声をかけられるだろう。でも、起きられそうになかった。
相当ダメージを受けている。こんなに辛いとは思わなかった。覚悟していたつもりだったけれども、実際そういうのを見ると、どうしても苦しい。不二にとってが特別な女の子だって、わかっていたつもりだったのに、それをむざむざと見せ付けられると、胸が締め付けられた。・・・本当に、自分勝手な事だけれども。
結局今日はいつも一緒の昼休憩も一緒する気にはなれず、「寝不足だから」と言って保健室で休ませて貰っていた。の心配してくれてた顔が今でも鮮明に思い出される。あんな良い子、普通惚れるよなぁ・・・。思ったら、また涙が流れて、私はベッドに深く深く潜り込む。私が保健室に来たのは昼休憩からだったにも関わらず、五時間目が始まる頃と終わった後の少ない休憩の合間もは顔を出してくれていた。「大丈夫?」と本気で心配してくれていたの声は酷く私の心を締め付けた。そんな彼女の顔を、私は見れなかった。きっと見たら、泣いてしまう。そう直感的に思ったからだ。鼻声で「大丈夫」と返したらもっと不安げな声が返って来たけれども私は何とか曖昧に誤魔化してその場を終わらせたけれども。多分、鼻声なのは風邪の症状だと思ってくれている、筈だ。

には本当に悪いことをしていると思う。本当なら、こんな所で寝転んでいる場合じゃない。本来なら、一番に彼女からの報告を聞いて「おめでとう」って笑って祝福してあげなくちゃ、なのに。今日彼女の口から「不二君と付き合うことになった」と言う事実は聞かされていない。もしかしたらまだ付き合う直前どまりなのかもしれないけれども・・・。何せ不二とのあのやり取りが昨日の放課後だ。だけれど不二もも互いのメールアドレスなり電話番号なりを知っているだろうからまだ付き合っていないという可能性はきわめて少なかった。朝のアノ出来事がそれを物語っている。
本当なら、きっとは私に不二との関係を言いたいだろうに。それなのに、気を遣ってくれている。言われるだろうなって言う予感は昼休憩にしていた。きっと昼食後、私に言ってくれる予定だったに違いない。それから私は逃げたのだ。・・・わかっているけれどそれを真実にしたくないが為に。
ごめんね。
心の中でに謝る。こんな不出来な、ちゃんと心から祝えない親友でごめんなさい。ポロポロと勝手に涙が流れて、シーツを濡らしたけれど私は気にしなかった。

ベッドに潜り込んで、昨日の不二の事を思う。
完全に、怒っていた。完璧に、愛想を付かされただろう。だって、今日四時間目までのあの態度が物語っている。完璧の無視、って訳じゃないけれど、本当に事務的なことしか話してくれなくなってしまったのだから決定的だ。ズキリ、と胸が痛む。こうして後悔するのは何度目だろう。もう数えるのも馬鹿馬鹿しいけれど、今一番馬鹿だと思う。
友人の枠から抜け出すのが怖くて、この関係が壊れてしまうのが怖くて言わなかった想いなのに、言わずとも結局壊してしまった。こんな形を望んでいた訳じゃないのに。たとえ、と不二が付き合ったってそれは変わらないで欲しいと願っていたのに。・・・あまりにも傲慢な考えだったんだろうか。甘すぎる現実逃避に吐き気がした。

そんな時だ。ガラリ―――と、保健室のドアが開けられた。保健医だろうか?確か六時間目の終わり頃ちょっとだけ部屋を留守にするけど大丈夫?と一言言って出てしまったっきりだからそうかもしれない、と思う。そろそろ起きなくちゃ、帰らなくちゃ。心の中で思うけれども、身体は意に反して動いてくれなかった。そうすると、カシャッー――という音が身近で聞こえる。きっとベッドを囲うカーテンが開けられたのだと思う。ベッドにもぐっている私には想像でしか無いけれども。私は慌てて頬に残っているであろう涙を拭う。



耳に通るのは、心地よい・・・けれども今は聞きたくなかった声。誰なんて相手に問わなくても直ぐにわかる。それ程、彼の事がすきなのだ。ぎゅ、とシーツを握り締める手に力が入った。一歩、また一歩とこちらに近づいてくる足音が聞こえる。泣いていた顔を見られたくなくてシーツに顔を押し付けるようにすると、比例してもぞり、と身体が動いた。今ので相手に起きているとバレてしまっただろう。・・・彼の性格からして初めから寝てなどいないとはわかっていたかもしれないけれど。



もう一度、彼――不二が私を呼んだ。それから、「起きてるよね?」と問いかけにしては強い核心の込められた台詞が降ってきて、ああ、これは誤魔化しきれないと悟る。私はまたもぞり、と身体を動かして、面倒くさげに返事を返した。「何」と素っ気無いそれで返せば、不二が息をついたのがわかる。

「もうホームルームも終わったよ」
「そう・・・じゃあ不二帰れば良いよ。お疲れさん」

何でこう可愛らしく言えないのか。結局後悔はしても変わることが出来ない自分に嫌気が差す。それが自分なんだよ。誰でもない、自分自身なんだよ。とあたりがフォローをくれそうな気がしたけれども、それは果たしてフォローなのか。・・・こんな性格じゃなかったら良いのに。モット別のになれたら、きっと不二との関係もまた別の道が開かれていたかもしれないのに。ぎり、と唇が切れてしまうのでは無いかと思われるくらい、きつく唇を噛む。

「・・・そうも行かないよ。に話したいこともあるし」
「私は無い。それに体調悪いから無理」

不二の言う『話したい事』そんなの大体解ってしまってる。わざわざ聞きたくなど無い。実際体調は悪くは無かったが気分が良くないから似たようなものだ。こんな精神状態では絶対正気で彼の話に耳を傾けることなど出来ないと直感した。早口に捲くし立てると、また不二がため息をつく。呆れられているならもうそれでも良い。ただ今はそっとしておいて欲しい。ぎゅっとシーツを握り締めて、涙が出そうになって慌ててきつく目を閉じた。きっとあと少しすれば不二は諦めて帰ってしまうだろう。
そして『話したいこと』イコール『との新たな関係』について聞くことが無いときっぱりと拒絶してしまった今、これで完璧に友人としての関係も失われるんだろう。友達関係でも良いと思っていたのに、結局自分の口から出る言葉は矛盾ばかりで吐き気がする。でも、心のどこかでこうして疎遠になってしまえばいつか不二へのこの恋心も消えゆくのでは・・・と思った自分も居た。
時間はこくこくと過ぎている。その間も不二が私の名前を呼ぶ。けれど私は断固としてだんまりを決め込んだ。早くの元にでも行ってしまえば良い。行って欲しくないと言う気持ちがあるのに、もう自分が自分で訳がわからない。
すると、何度目だろう。不二が私の名前を呼んで、ため息を付いて。

ガバッ―――そんな音と共に、私を覆っていた暖かいそれは剥ぎ取られ、その反動で冷たい風が私の体を攻撃した。
ばっと顔を上げれば、先ほど私の上にあった布団を不二が持っており、私を見下ろしていた。

「ちょ!何すんの!返してよ!」

その布団をまたひったくろうと腕を伸ばせば、不二は無表情のまま(喧嘩中のようなものだから仕方がないかもしれないが少しだけ辛かった)私の腕を掴んだ。
・・・心臓が、飛び跳ねる感覚が、した。(実際飛んでなどいないだろうが、感覚的にはそうだ)じ、っとこちらを見てくる不二の目は、いつもと違い綺麗なコバルトブルーが顔を覗かせている。

「それだけ元気があるなら大丈夫だよね」
「ふ、じ」
「悪いけど、今日は断らせない。絶対話を聞いてもらうから」

その声は、いつもと違って真剣で。「絶対」と言った風に、本当に「絶対」拒否させない雰囲気を醸し出していた。






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