抱きしめてKissをしよう




風が、冷たく私と不二に突きつけられる。コートを身に纏っていると言っても、やっぱり肌寒かった。
それでも不二が此処を選んだので、反論や拒否することも出来ない。また、自分には逃げ出すと言う選択肢は無かった。
あんな、射るような目で見つめられたら、もうどうしようもない。彼は気づいてなど居ないのだ。私が、結局不二の言葉を本気で厭だと思えない事に。
結局は、諦められないのかもしれない。それほど「好いてしまっている」この目の前で背を向けている不二周助と言う男に。もう手遅れな程。
そう思えば思う程、素直で可愛らしい親友の姿が脳裏に焼きついて離れない。結局私は本気での友達失格なのかもしれない。
こんなんじゃ、「親友だ!」なんて言える訳が無いのだ。じんわりと込み上げてくるそれに気づいて、私は下を向いた。そんな中でも、二月の風は私を厳しく叱るように吹き付けてくる。





「・・・話、って」

切り出したのは、外でもない私自身だった。この話題に触れたくなくて我が侭にベッドから出ようとしなかったのに、もうそれが駄目だと解ったら自棄だ。どうにでもなれ!と言う想いで私に背を向けたままの不二に問いかけた。でもやっぱり怖くて、ぎゅっと持っている鞄を握る。HR終了後迎えに来てくれた不二が丁寧にも鞄を持って現れてくれたのだ。その優しさが今は痛かった。
不二はそのままフェンス近くまで歩みを進めると、黙って私に振り向いた。それから、カシャン――と音を立ててフェンスに寄りかかる。
私と不二の距離は、そんな遠くない筈だけれども、決して近くは無かった。それが自分と不二の関係なのか、と考えれば、さっきはどうにでもなれ、玉砕上等とか思ってたのに心が沈む。結局、強がりなのだ自分は。プライドばかりが高くて厭になる。
じっと不二を見つめていると、不二がゆっくりと口を開いた。

「なんか・・・変な感じだね」

その声は何処か遠くの誰かに言った風な声色で、私は呆けてしまった。暫くしてようやく「え?」と聞き返す声を上げると、

「今日一日、僕達『おはよう』とかしか会話をしてなかったよね」

ツキリ。胸が痛む。淡々と言ってのける不二の言葉は思ったよりも大ダメージを私に与えてくれた(願っても無いのだけれど)それが、淋しかった。おはよう。と挨拶しかされない関係が苦しかった。でもそれが常になってしまうのだろうか。と付き合ってしまった不二は今までの『女友達としての私』ではなく、『彼女の友達』と言う風に見てしまうんじゃないか。そう思うと、辛かった。まるで、ナイフで心臓を一突きされたみたいだ。実際刺された経験など無いのだけれど。
私は不二の問いかけに「そうね」と素っ気無く返す事しか出来なかった。すると不二は表情をそのままに私を見つめてまた言葉を紡ぐ。

「・・・はどう思った?」

ゆっくりと、テノールの声が私の耳にスゥっと入ってきては、脳に浸透していった。どう思ったか。不二の問いかけに私は先ほど考えていた事を思う。辛かった。哀しかった。苦しかった。全部が全部、負の感情だ。それでもそんな事を素直に言える性格ではない。こんなところまできてしまっても、そればかりは素直になれなかった。寧ろ、なれるならとっくになっているわけだ。
「別に」と気持ちとは裏腹な台詞をやっぱり素っ気無く返す。でも、不二の顔は見なかった。違う。見れなかったんだ。俯いて、固そうな屋上の地面を見つめて、ただ、ポソリと呟けば、不二が「そう」とだけ口にした。・・・そこで、感じる。とうとう、この友情関係も終わりなのだと。私は決して勘が強い人間ではなかったけれど、人間こういった勘は鋭くなるものだと私は思っている。大抵、厭なときの予感と言うものに限って、当たってしまうものだ。
それでも、素直に気持ちを伝える勇気は私には無かった。
鞄をきつくきつく掴む。本来なら、教科書が詰め込まれた鞄など、置いてしまいたい。それでも、私はそれを離せなかった。じゃないと、この両手は行き場がなくなってしまう。

にとっては、そうなんだね」

どこか儚げな声が聞こえてきて、私は咄嗟に不二を見入る。そうすれば不二は私を見ずに、何処か別の方向をその瞳に移していた。ぎゅう、と胸が締め付けられる。いつになったら楽になれるだろう。どうしてこうも不二と居るとこんなに胸が苦しくて、痛くてどうしようもなくなるんだろうか。その応えは簡単だ。不二を好きだから。それ以外にない。解っていた事を自問自答していると、更に不二が声を続けた。

昨日言ったよね。僕とさんが付き合えば良いって」

忘れもしない。忘れるわけが無い。昨日の今日だから――とかじゃなくて、たとえコレが十年前の出来事だったとしてもきっと自分は覚えているに違いないだろうと思った。私はコクリと頷くと、不二がさっきの真剣な目で私を見据えるように見やる。その眼差しに、変な言い方がけれども、殺されそうになった。視線に殺されるってこういう事なのかも知れない。呼吸が出来なくなってしまうのだから。無意識のうちに、息を押し殺している自分に気づいた。

「僕の話はそれ。その事をもう一度聞きたかった」

ドクンッ

心臓が、高鳴る。そんな良い物じゃない。知らず知らずのうちに身が固くなるのが解った。そんな様子に不二は気づいているだろうか。

「ねえ、。本気で君は僕とが付き合えば良いと思ってる?」

ドクドクドク、と煩い心音と共に、冷や汗が流れる。射抜くような瞳は私からそらされること無く浴びせられる。何と応えれば良いのか。何が正解で、どう応えれば穏便に済むだろうか。そう心の中で思った。今此処で「厭だ」なんて言えない。言えるはずが無い。の気持ちを知っているからだ。を傷つけたくない。彼女を泣かしたくはない。あんな良い子を・・・。でも、不二との関係が無くなるのも厭だった。・・・結局は我が侭。逃げているだけだ。これを他人は『偽善者』と呼ぶのだろうか。結局誰にも良い格好をしたいだけなのだろうか。
ぎゅ、っと唇を噛み締める。それから――コク、と小さく頷いた。
を裏切れない。彼女に本音を言えない代わり。簡単に心から祝福は出来ないから、その罪滅ぼし・・・なのかもしれない。こんな友情、最低だと思う。でも、との友情を失いたくは無いと思ったのだ。

「それは何で?」
「だ、・・・って」

続けて問いかけられた質問に、私は言葉が詰まった。だって、が不二の事を好いているから。なんて。第三者が言って良い事なのだろうか。口ごもる私。でもそんなの彼はお構いナシのようで、何処か睨むような顔を私に向けている。・・・初めて、これほどまでに不二を怖いと思ったかもしれない。
不二のテニスをしている姿を幾度が見て来た。そんな中、弟の事で本気で怒った不二や、立海のあの男の子とのやり取りを見て、怖いと思っていた。自分には向けて欲しくない。と。けれども、それが今実際に、現実に自分に向けられている。そう思うと、足が竦んでしまう。それでもそれを不二に悟られたくは無かったけど。

「だって、何。言ってくれなきゃわからないよ」

冷たい不二の声が私の耳に届く。ああ、本当に不二に嫌われてしまったかもしれない。自分の事を不二は恋愛対象に見てないと言う自覚はあった。けれども、嫌われては無いと言う自惚れがあったのだ。それが今は感じられない。本気で嫌われてしまっているのかもしれない。そう仕向けたのは私本人なのだけれど。
ツン、と鼻の頭が痛くなって、泣きそうになる。でも此処で泣くのは間違っていると気づいている。必死に泣くのを堪えると、眉間に皺が寄るのが解った。「黙ってちゃ解らないよ、」紡がれる声は心地よい声色とは別に、怖い。

「だって・・・」

ゆっくりと、口を開く。出来るだけ、平静を装って。怯えてるなんて思われたくない。

「だって、不二とお似合いじゃん。ベストカップルって感じだし。なら付き合えば良いと思っただけだよ」
「でもそれはが決める事じゃない。誰の気持ちも汲んでないじゃない。の考えはそれは君の傲慢な考えだ」

冷たく言い放たれた不二の言葉。その台詞は先ほどと変わらず冷たさを持っていた。けれども、それよりも、不二の台詞の意味に、私は怒りを覚えた。さっきとは別の意味で鞄を力強く握る。ああ、駄目だ。押さえられない。誰が、『誰の気持ちも汲んでない』だ。汲んだ上での考えなのに。不二だって、の気持ちを知っているに決まっているのにそんな事言うのは有り得ない。それに、何より。確かに自分は傲慢なところがあるかもしれない。それは認める。だけど、それを言うなら不二だってそうなのに。

「でも不二、昨日『わかった』って言ったじゃない!それってそういう可能性も良いかって思ったんでしょう?!」

思わず、声を荒げてしまっていた。キッと睨みつける。けれどもそれに怯む不二じゃない事は知っていた。不二は、ズルイ。確かに昨日不二を私は傷つけたかもしれない。でも、私だって傷ついたのだ。そして、同様にも傷ついていたに違いない。あんなに、想って買ったチョコレートを無下に断られたのだ。傷つかない女の子などいるはずが無いと言うのに。しかもそれが私からのチョコを貰うため、と面白半分で、だ。
傷つかないわけ、ない。だって、私は十分に傷ついた。それを不二は解ってない。さも、私だけが悪いみたいな言い方をされて。
・・・止まらない。

「それに、誰の気持ちも汲んでないなんて不二には言われたくない!不二だって、私の気持ちもの気持ちも解ってないじゃない!」

叫ぶように言うと、ガシャン!と一際大きな音がした。それが不二の手で発せられたものだと、ぼんやりと認識した。不二が自分の拳でフェンスを殴ったのだ。初めて見た、暴力的なシーンに、彼でもそんなことするんだ・・・なんて悠長なことは思えなかった。
そうすれば、その深いブルーの瞳が私を見据える。

だって、僕の気持ちを解っていないよ」

こんな感情的な不二を見るのは、初めてだった。





― Next