抱きしめてKissをしよう




だって、僕の気持ち・・・全然解ってないじゃない」

また、同じような言葉を紡がれて、私は何も言えなかった。二度目の声はやっぱり不二が傷ついたような顔をしていて。傷ついているのは自分の筈なのに、胸が痛くなる。「解っていたら、僕に対してそんなこと言える筈が無い」とも不二は言った。一体、不二は何が言いたいのか。いまだ、繋がらない考えで、答えの出ない台詞に首を傾げるばかりだ。かしゃん、またフェンスの音が響いて。不二がそこから動いた事を知る。私はやっぱりただ、黙って不二を見ることしか出来なくて。
そうこうしているうちに、不二が私の前に立つと、私を見下ろした。ほんの少しだけ高い不二の身長。
じ、っと何も言えなかったのは、不二の言葉がまだ続くだろう事が予想されたからだ。黙りこくると、不二がそっと私の頬に触れた。ピクリ、とかすかに反応を示してしまったが、それでも不二は構わないといった風に私の頬を両手で包んだ。その顔は、辛そうで。・・・私は「やめて」とも「離して」とも言えず、ただただ困惑してしまった。眉間に皺が寄ったのが、鏡を見なくても想像ついた。

さんと、僕がお似合いだって・・・そんなの僕は知ったことじゃない。それはの勝手な言い分だ。それで付き合えなんて、冗談じゃない。それじゃあ僕の気持ちはどうなるの?」
「・・・ふ、じ」
「僕の、僕のの事を好きって言うこの気持ちは・・・どうすれば良いの?」

時が、止まった気がした。ひゅう、と吹き付ける冬の風は、冷たい筈なのに、私の体に当たるそれは心地よいくらいの温度差だ。何を言われたのか、本気で理解できなくて、私はただただ口を噤んで不二を見上げていた。その顔は、今にも泣きそうなくらい・・・切ない。
不二の先ほどの台詞が私の頭の中で反芻する。
好き、だと。彼は私の事を好きだと言った。この場で使われる『好き』を、Likeで片付けるには余りにも不恰好だ。この場合の『好き』はきっとLove
つまりは不二は私に『恋愛感情』を持っている事になる。
ドクッ、と胸が騒いだ。有り得ない。そう思っていたから。でも同じく嬉しいと思った。――当たり前だ。ずっと好きだった彼からの思いも寄らない告白。喜ばない女がいたらそれはその人に本気じゃない証拠。『私も』そう口に出そうになった。今の気持ちを・・・ずっと前から秘めていた気持ちを、今伝える時なのだろう。頬を包んでくれる不二の手は、限りなく暖かく、そして優しい。人に触れるのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。

『私も、不二が好き』

言いかけて、私の脳裏には一人の女の子の姿が浮かんだ。だ。
・・・今、不二は私の事を好きだと言ってくれた。でも・・・じゃあ彼女の気持ちはどうなるの?きっと彼女も私と同様に不二に恋焦がれていたに違いない。それを、失くせと?恋愛は奪って何ぼのものなのだ。と何かの小説に書いてあった気がする。恋愛は弱肉強食だ、とも雑誌で読んだことがある。
でも、違う。だけど、そうじゃない。確かに遠慮してたら恋愛なんて出来ないだろう。でも、そうじゃないだろうに。皆がハッピーエンドな結末等ありはしないだろう。それくらい子どもじゃないから解ってる。解ってる、つもりだった。でも、だからと言って、やっぱりが泣くのは見たくなかった。
友情か、恋か。どちらを取れば良い?好きな人か、親友か。どうすれば良いだろうか。どちらも選べない。不二の本音を聞くまでは、不二はを好きなのだとばかり思っていた。だから、自分が我慢すれば、この想いに蓋をしてしまえばどちらも失わず済む、そう思っていた。だけど、今は違う。じゃあどうすれば良い?

きっと今、私は酷い顔している。どちらとも付かない曖昧な表情を浮かべているに違いない。だって、不二の顔が、驚いた様なそれに変わったのだから。

・・・泣かないで」

けれども、私の予想に反した言葉がかけられて、今度は私が驚く番だった。どうやら、私は無意識のうちに泣いていたようだ。道理で、視界が悪いのだ。ポタリ、ポタリと不規則に零れていく涙を、不二の細長い指が拭ってくれる。急に、優しくなんてしないで欲しい。優しくされればされるほど、辛くなる。
なんで、不二だったのだろう。なんで私の好きな人は不二でなくちゃ駄目だったんだろう。答えが出ない。涙ばかりが溢れ出て止まらない。どうして、だったんだろう。きっとこれが他の子なら、こんなに辛くは思わなかった筈なのに。どうして、どうして、どうして。

「ごめん」

聞こえてきたのはそんな声。しゃくる声をそのままに、私は不二を見つめると、不二の指が最後に一度私の頬の涙を拭って、そっと離れた。ぼやけ眼で不二を見る。視界がクリアではないけれど、不二が困っているように見えた。こんな顔、させたいわけじゃないのに。じわり、胸が、呼吸が、苦しくなる。そうして不二が一歩下がった。そしてもう一度「ごめん」と。

「困らせてゴメン。ずるくてゴメン。・・・を・・・を好きになってごめん」

そう、言ったのだ。そして、その声はまだ、続く。厭な予感が、胸を過ぎる。これ程に無いくらい、胸が痛く、そして心の何かが叫んでいた。

「君にこんな顔させたいわけじゃなかったから。・・・僕はいつものが好きだよ。本当ならも僕と同じ気持ちで居て欲しかったけど・・・だけど、でも、僕が君を好きな事でを傷つけてしまうなら・・・」

止めて。止めて。それ以上言わないで!心の中の自分が一生懸命叫んでいる。でも、実際言葉に出来なくて、ただ、自分は不二を黙って見つめるしか出来ないで居た。そして、不二が一呼吸を置いて。真っ直ぐにその瞳が私に向けられる。

「この気持ちはもう、やめるから。は自然のままで居て欲しいから。・・・もう、話しかけるなと言うなら、・・・そうするよ。ごめんね、困らせて」

言って、不二がふわっと笑うのが解った。その微笑は、今までに見たどの不二の笑顔よりも綺麗で―――そして、はかなく思えた。そして、一番残酷で、切なくて・・・

ああ、ああ、ああ。

私はまた、この人を傷つけてしまった。ふわりと、笑っている筈なのに、全然安心させてくれるそれじゃない。
不二周助は何を考えているのか解らない男だった。ずっと長いこと見て来たけれども、全然不二は人に感情を読み取らせない人だった。でも、今ならわかる。・・・完全に、傷つけてしまった。本当は、笑いたくないって思ってる。気づいてしまって。―――こんなときに自分も傷つくなんて。傷ついているのは不二なのに、自分も辛い。

「ごめんね、さん」

そうして、彼が私の事を、久方ぶりに『さん付け』で呼んだ事実に、愕然とした。

『不二が女子を呼び捨てにするなんて中々ないよ。苗字でも名前でも。だからはよっぽど不二に気に入られたのかもねん!認められたんだよ、きっと。うん』

いつだったかの英二の言葉が頭を過ぎる。それを今、失ってしまった。ああ、行ってしまう。ぽん、とさようなら。の意味を込められた掌が、私の頭に振ってきた。それは一瞬の出来事で、そのまま不二が私を横切って。ああ、本当に行ってしまう。でも、足が動いてくれない。声が出てきてくれない。どうすれば良いのだろう。
このまま過ぎてしまえば、不二との関係は永遠になくなってしまうだろう。でも変わりにとの関係は変わらない。それで良いじゃないか。そう思おうと思った。これが、ずっとひねくれ続けてきた自分にぴったりのエンドだ。そう思い込みたかった。全ては素直になれなかった自分の問題。自業自得。そう、思えば良い。
この辛い気持ちもいつかは風化して、そんな事もあったな・・・って、いつか未来の自分が笑って話せるようになってるかもしれない。そう、必死で暗示をかける。
中学の恋愛なんてきっとそういう風に散っていくんだ。そうなんだよ。心の中でいくつもの想いが交錯する。

ふっと、そんな時だ。最後に不二が呟くように言った。

「でも、きっと僕は・・・ずっとの事好きだと思う。この気持ちは代わることは無い・・・って。諦め悪くてごめん。だけど、ただ好きで居続けることだけは許してね」

その台詞に、私の何かが吹っ切れた。ふつふつと、湧き上がる。涙は折角止まったのに、また急速に加速してボロボロと流れ出た。でもそんなの知ったことじゃない。私は両手で持っていた鞄のチャックを思いっきり開けて、それを取り出して、思いっきり不二に投げつけた。

「―――っ!?」

それは見事不二の背中にクリーンヒットして。ボトリ、と重力のままに落ちていった。コトンッ、と音がして、静かになるそれ。投げつけられた不二が私の方を振り向いて、私の名前を呼んだ。わざとらしい『さん?』と。はじかれたように、私の口が喋りだした。

「なんでそんな勝手なのよ!なんで急にさんなんて他人行儀で言うの!?不二は勝手だよ!勝手に私の事好きって言って、それなのに、なんですぐやめるって言うのよ!そんな簡単に諦めちゃう気持ちって事なの!?その程度の気持ちなのに、なんで最後にずっと好きだと思うなんて言うの!?な、なんで・・・っ、なんで私の気持ちを無視するの・・・っ!!」

勝手なのは不二じゃなくて私だ。こんな事、不二に言ったって混乱するだけだ。私の気持ちを無視するのって、言わなかったのは自分じゃない。それなのに、自分の事を棚に上げて。そう思うけど、止まらない。涙でぐしゃぐしゃになっているであろう顔。だけど、拭うのも忘れて、私は続ける。

「仕方ないじゃない!は可愛くて、私と違って素直で、女の子らしくて・・・そんなを優しい目で見てる不二を見てたら、お似合いだって!諦めるしかないって思うしかないじゃない!が不二の事好きなんだって聞いたら、応援するしかないじゃない!だって、を裏切るなんて出来ない!厭だけど、不二とくっつけばいいって思い込まなくちゃって思うに決まってるじゃない!・・・そんな私の、私の気持ちなんて不二にはわからない!」

不二は、何も言わない。ただ黙っている。呆れられているかもしれない。

「っく、な、なんで!なんで!・・・なんで私ばっかり不二のこと好きなの・・・っ!どうして私は不二の事好きなの!忘れられないの!・・・と争いたくなんか無いのに!・・・好きになるのやめる、なんて言うな!『さん』なんて今更言うな!不二の馬鹿、大馬鹿!なんで、なんで・・・っ・・・わ、私の事・・・私の事好きなら、好きならなんで身を引くのぉ・・・っ」

もう、言いたいことがむちゃくちゃだ。矛盾し過ぎている。子どものようにまとまりのないそれはきっと冷静になって考えれば酷く馬鹿馬鹿しい。でも今の私にはそれを言うのがいっぱいいっぱいで。大粒の涙を拭う余裕すらなくて。
そうすると、見えていた不二が。黙ってそこに立っていた不二が、―――いつの間にか不二の腕が私の背中に回って、そしてぎゅ、っと私の身体を抱きしめた。初めて、こんなに近くで触れた。そう気づいたのは、大粒の涙が不二の学ランによって吸収されて暫く経ってからだった。思考が、ついていかなかったのだ。

「ふ、うー・・・っく」
、ごめん」

その声はとても近くで聞こえた。抱きしめられている。改めて実感させられる。不二の、ふんわりと優しい声が、耳元で囁くように言う。私の口からは嗚咽しか漏れてくれなかった。「ふ、うぅ」そうすれば不二の腕の力が更に強まる。ああ、ああ、ああ。私はやってしまった。

ごめんね、ごめんね、

の恋が上手く行けば良い、とは思えなかった。だけど、を裏切る事はしたくなかった。でも、今実際に裏切ってしまった事になるんだろうか。何度も何度も心の中でに謝る。こんなこと、バレたらは泣くだろうか。彼女は自分から離れていってしまうだろうか。胸がツクン、ツクン、と小さく悲鳴を上げていた。
だけど・・・無理だったのだ。諦められそうになかったのだ。すがってでも、離れたくないと思ってしまったのだ。思い出になんて出来ない。そんなこともあったね。なんて笑えない。きっと今諦めてしまったら、未来でもずっとそれを後悔して生きていくのだろう。と思った。そして、きっと自分はずっと、それこそ不二よりもずっと強く不二の事を思って未来を生きるだろう、そう思ってしまったんだ。
順位をつけるなんて好きじゃない。だけど、不二は。不二だけは・・・離れたくないと。失いたくないと。のこと、大事に思ってないわけじゃない。だけど、不二が居ないと自分は成り立たない。そうまで思ってしまったのだ。

「ずっと、一人で苦しんでいたんだね?ごめんね、気づいてあげられなくて。辛い想いをさせて、ごめん」

心地よい不二の声が響く。

ごめん、。もう一度私は今はいない親友に祈りにも似た懺悔を繰り返した。





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