それはきっと始まり。
きっと私と不二の物語は此処から、始まるんだ。
そう、心の中で思った。
夕焼けが紅く染まる頃、ようやく私の涙は止まり、不二から離れた。我を失ってしまった失態に、今更ながら羞恥心が襲う。そそくさと離れると、不二がクスリと優しく笑ったので、私は嬉しい反面、辛かった。これからの事を思うと、色々鬱だ。それはそう、の事。が私と不二の事を知ってしまったとき、彼女はどう思うだろうか。どうするんだろうか。不安が胸を過ぎる。
すると、それが顔に出ていたんだろう。不二の手が優しく私の頭に振ってきて、そっと撫でた。恐る恐る見上げると、優しい目。あ、に向けていた目だ、と直感した。ズキリ、また胸が痛む。
嬉しいのに、喜べない。特別の存在を知ったのに、私は両手離しで喜ぶことは出来なかった。罪悪感が、心にわきあがる。
瞳の奥には、優しい優しい親友の姿。
離れてなど行って欲しくない。出来ればずっと友達で居て欲しい。親友だと、胸を張って言える関係で居たい。そう思うのは利己的な考えだ。実際、応援してくれると思ってた親友に好きな人を取られてしまったら、いくらでも厭になって離れていくに違いない。哀しいけれど・・・そう思うのは自分勝手だ。それでもには笑っていて欲しいと願うのは自己中心的な考えだ。綺麗事、と他人は言うのだろう。私は、最低女だ。そう思うと、涙が出そうになった。ああもう、涙腺が弱くなってきてしまったみたいで、困る。ぎゅっと瞳をきつく閉じた。
「どうしたの?」
すると、声をかけられて、私はゆっくりと目を開けた。そうすれば困惑した・・・と言うより訝しげな不二の視線。抱きしめられた手が離れたと言っても、まだ随分近い距離に居る。顔を覗き込まれて、私の心臓が高鳴るのが解った。こんな、気分が沈んでいる時でもこの心臓は素直だ。それでも私は素直になれず「なんでもない」と頭を横に振って見せた。そうすると不二は、「嘘つき」と少し拗ねたように言って、私の鼻を摘んだ。それからかし、と私の頭をかいて。
「言ってよ。思ってる事。・・・言ったでしょ?にそんな顔させたいわけじゃないって」
言ってくれなくちゃ解らないんだから。そう微笑まれて。改めて、不二を大人だと感じた。私は黙りこくった後、ぽつり、と覚悟を決めて話し始めた。
「、の・・・事」
「さんの事?」
鸚鵡返しに問いかける不二にこくりと肯定の意を表すと、私は更に話を進めた。
「私、最低な女だ。・・・だって、には私が不二の事好きだって伝えなかった。には応援してるっぽい事言ってたのに・・・結局私を裏切って・・・だって不二の事、本気で好きなのに・・・それなのに」
「ちょ、ちょっと待って?」
すると不二は困ったように私の台詞を遮った。珍しいことに不二が混乱している。それから不二はその整った眉を顰めると、「それおかしいよ」とやんわりと、けれどもはっきりと否定の言葉を漏らした。それに眉を顰めるのは私だ。おかしいも何も無い。何がおかしいと言うのだろうか。それが顔に出ていたんだろう(隠す気も無いので当たり前だが)すると不二は確かめるように、言ったのだ。
「それ、本当にさんが言ってたの?」
「・・・勿論」
「本当に?」
だって、この耳で聞いたのだ。好きな人が居る、と。その好きな人にチョコレートを渡すのだ、と。こんなこと冗談で言えるほど、今の私に余裕などないし、寧ろ冗談を言う意味も無い。デメリットはあってもメリットは無いのだから。私はもう一度こくりと頷いたけれども、それでも不二は納得していないようであった。また、確かめるように言葉を紡がれる。今度はモット詳しく、だ。
「それ、本当に僕を好きだって言ったの?彼女が?」
「え」
「良く、思い出して。本当にさんが僕の事を好きだと、ちゃんと僕の名前を出して言った?」
何度も、何度も確かめるように。そう言われてしまえば、私は口を噤むしかなかった。思い出せば、肯定できなかったからだ。ああ、そう言えば。私は一度だっての口からは不二の名前を聞いてはいないかもしれない。急に不安になった。けれど・・・今までの彼女の反応を思えば、好きな人は=不二で繋がるのだ。「でも、だって!」と声を上げると、不二は思案顔になって、やっぱりまた「それおかしいよ」とはっきりと首を振って見せた。
「だって、さんの好きな人は英二なんだから」
・・・。ぽかん。それは今の私を表す擬音だろうと思った。ゆっくりと不二の言葉が脳内でリピートされていく。何秒経っただろうか。漸くその言葉の意味を理解した私が驚愕したのは言うまでも無い。「え、嘘」思わずそんな言葉が漏れてしまう。そうすれば「嘘じゃないよ」と不二が苦笑をもらした。
「え、だって、そんな!でも、え?」
「随分混乱してる?」
苦笑の不二の問いかけに、やっぱり出た言葉は「でも、だって!」だ。その言葉しか知らないように私は何度も何度もその言葉を繰り返すと、不二がふう、と息を着いた。それは呆れたものではなかったように思う。混乱した頭で、思い考えると、不二が「・・・良し」と何か思い立ったように言った。でも何が良し、なのか今の私には理解出来ない。え、と不思議に顔を上げると、さっきの苦笑染みた顔はそこには無く、端麗な笑顔。それから
「付いておいで」
そう言われ。でも、問いかけるようなそれなのに、しっかりと私の手を握っている不二には断ると言う選択肢は用意されていないように見受けられた。結局私は言われたまま付いて歩くことになる。
屋上から出て、校内に入る。それから、タッタッタと迷いのない足取りで中を歩いた。放課後の教室は無人と化していて、私と不二の足音がやけに響いているのが解る。結局行き先は教えてもらえないままだった。「何処行くの」と言う問いかけは無視されてしまったので私は結局黙って歩くことしか出来ない。そうこうしているうちに付いたのは
『3−6』とプレートに書かれた教室―――つまりは自分の教室だった。そこで不二は立ち止まると閉まったドアをがらりと開けた。そして迷い無く歩いて、そして
「!」
その声が、教室に響き渡った。それは、さっきからの私の頭に居た人物。だ。は私が何か言う前に、私に駆け寄ってくるとガバっと私に抱きついた。え、と当惑している暇はない。ぎゅう、と抱きしめてくるをただただ困ったように見つめるだけだ。そうすれば「上手く行ってよかったね!」と続けて声が聞こえてきて、更に困惑する。結局私の口から出てくるのは「え」と言う何とも間抜けな一言だった。それからそっとは私から離れると、今度は不二を見上げて。
「不二くんも、上手くいって良かったね!」
「うん」
「え、ちょ・・・良くわかんない」
二人はまるでドッキリ大成功!とでも言いたいかのように互いにやり取りをしている。今にも手と手を叩きあいそうな程。その光景にポカン、としてしまったのは私だけだ。まるで私だけが取り残されたかのような感覚になる。まだ、謎だらけでどうすれば良いのか。そうすれば、ポン、と私の頭を小突いた人物が居て、振り返るとそこに居たのは英二で。視線が合ったことが解ると、英二は「おめっとさん」とニッと笑って言った。その言葉にも曖昧にしか答えられなくて。
え、一体、何が起こってるの?
当惑していると、不二が私の肩に腕を回した。「良く聞いていて」と不二が言う。そして不二がを見て、彼女に笑って言ったのだ。
「さん、に言いたいこと、あるでしょう?言ってあげて。今日の昼休憩いえなかったこと。大切な報告」
そうするとは、あ、うん!と嬉しそうに笑んで。それから、頬を紅くさせた。この反応に、更に謎が深まる。え、良く意味が解らない。そう言おうとした時だった。私の問いかけより先に、が英二と顔を見つめあい、そして・・・喋りだしたのだ。
「実はね、あの・・・英二くんと付き合える事になったの!」
そう言ったに、私は何もいえなかった。予想外、だったのだ。そんな私をよそに、は「が後押ししてくれたお陰だよ!」と嬉しそうに笑って話している。それも意味が解らなくて。
「・・・え、だ、だって・・・」
「ん?」
「だって、えっと・・・の好き、な人は・・・」
「うん、英二くん」
いつまでも澄んだ笑顔に、私は眩暈がした。それから間の抜けたように「ふ、じじゃなく、て?」と紡ぐと、反対にが驚いた反応を返す。「えっ、なんで不二くん!?」なんて言葉が帰ってきてしまい、私は一度口を噤んで、それから、思い当たったことを口に出した。
「だって、不二の誕生日の事、聞いてきた・・・時、私の『不二の事好きなの?』って問いに頬染めて・・・」
「あ、あれは・・・英二くんの事を打ち明けようとして・・・!」
「そ、それに・・・不二がチョコレート貰えないって心配無いって言った時、聞き返したときのアノ顔・・・!」
「えっ、それは・・・ついにが不二くんに本命チョコをあげるって言ったのかなって・・・大胆だなーって・・・」
それにそれに、もっと聞きたいことがあるとばかりに私はとにかく今までの不二好きなんじゃないか説を語りだすと、ことごとくは否定してくれた。
そして最後の質問の後、が「え、もしかして・・・・・・私の好きな人、誤解してた、の?」と、ビックリされてしまった。
つまりは、私の勘違いだったわけだ。そう気づいたら、ストン、と全身の力が抜けて、私はその場に座り込んでしまった。「!?」と驚いた声が上がる。
それからが私に視線を合わせるようにスネ立ちして、私の顔を覗き込んだ。
「もしかして、ずっと・・・悩んでたの?・・・私、を悩ませてた?」
不安げな声が掛かってきた。その声に、妙に安心して、泣いてしまった。今日、一体どれくらいの涙を流したのかしれない。大粒の嵐だ。
「えっやだ!嘘!、泣かないで?私、には笑ってて欲しいよ〜?」
わたわたと慌てて私を慰めようとしてくれるが、ぼやけた視界に映って、私は更に泣き出してしまった。子どもみたいに泣き叫ぶのは恥ずかしい光景だ。だけど、今日ばかりは多めに見て欲しいと思う。
「わ、私、私・・・不二を好きで居ていいの・・・っ?」
そう言えば、が「当たり前だよ!」と言って、泣き出した。なんでが泣くのよ、と思ったけれど、そういう子だってわかったから、結局私達は二人で泣き合ってしまった。すると、そっと私の頭を撫でる存在に気づく。微かに顔を上げると、優しい笑みの不二が視界に映る。それから「勿論」と声を紡いでそして。
「と言うか、好きでいてくれないと、困るんだけど?」
と、私を抱きしめてくれた。
「何だかお邪魔みたいだねん」そんな声が聞こえてきたけれど、抱きしめられた私にはそれを見ることも気遣う事も出来ない。気が付けば二人の姿がなくなっていた。と言うのは後になって気づいた。気を利かせてくれたのだと友人二人を思う。そうすれば、優しい抱擁が外されて、そして目尻に溜まった涙をまた拭われて。
「今日泣いてばっかりだ」
泣き顔を見られたのが恥ずかしくて私はそれを冗談っぽく返すと、不二がまた笑うのが解った。「たまには良いんじゃない」と聞こえてきて、
「良くないよ!・・・それでなくても泣き顔はブサイクなんだから!」
「そしたら何度でもを抱きしめて顔を見えないようにしてあげる。それでも気になるって言うなら」
「なるって言うなら?」
そう聞き返すと、不二がクスリ、と一つ笑みを溢した。ただ、それは今までに見たことないそれで。どこか艶めいていて。どこか、悪戯なそれで。
ちゅ、
それが落とされた。
「キスして安心させてあげる」
まるでそれは悪戯に成功したような、笑み。少年っぽい笑顔に私はただ、暫くは口をパクパクと開閉させる事しか出来なかった。余計に安心できるわけが無い!その前に意味が解らない!とそういいたかったけれど、次に振ってきた口付けが優しいものだったから、まあ良いかって思ってしまった。
此処から、全てが始まる。
― Fin