2008年、二月某日。
しんしんと、雪が降っていた。
僕は教室から見えるその景色を見て、とても、胸が締め付けられるような気がした。
もう、数日で高校生活が終わってしまう。
あと、数日。言葉にすれば、なんとも呆気ない。
その、数日で、僕らは卒業してしまうのだと言うのに、でも、何故かぴんと来なかった。
だって、まだ高校生活は終わってない。実感が沸かなかった。
二月ともなれば、卒業式の練習があった。
今日も例にも漏れずそれの予行演習だ。何せ、三日後が卒業式本番だ。
今日は明々後日に備えて最後の一調整として全体を通して練習するとの事で先生達はいつも以上に張り切って進行していく。それでも、やっぱり僕は何処か他人事のように思っていた。
綺麗に整列された生徒達。今は無いけれど、当日には此処に僕らが座る椅子が設置される。まだ椅子がない所為か少し乱れた列から、前を窺うようにしてみれば、中学高校を共にした友人の姿が目に映った。欠伸をする瞬間を目撃してしまい、彼――菊丸英二もまた、実感が沸いていない生徒のうちの一人なのだと気づく。
ふう、とため息が零れた。
それから視線を左前に移せば僕よりも小柄な一人の女の子が居た。。それが彼女の名前だ。彼女とは英二と同じくして、中学高校と仲良くしていた仲だ。僕達を結ぶ適した間柄は『友人関係』だろう。その彼女を見ていると、彼女は英二と違い、真剣な面持ちで式練習に臨んでいるようだった。真っ直ぐ前だけを見つめる瞳。ピン、と張った背中が、自分とは全然違うくみえて、少し遠く感じた。
「最後の式練、終わったねー」
んー、と伸びをしながら、が言った。その問いかけに、一緒に歩いていた英二が「うんうん」と頷いたので僕も便乗して頷いた。今日は式練をして、最後だった。何でも三年だけが放課らしく(一、二年は明々後日の式に備えて準備があるらしい。桃がぼやいていたのを思い出す)僕らは三人でのんびり話をしながら帰っていた。中・高と同じ部活(テニス部)に所属していた僕と英二。そしてその男だらけの中に、マネージャーと言う形で僕らをサポートしてくれていた。引退前もそうだったけれど、引退後、一緒に帰るのが日課になっていた。
10度以下と言う気温の下、マフラーにコートと言う防寒をして、ゆっくりと岐路に着く。明々後日でそれもお終いだ。けれども、やっぱり実感が沸かない。
だって、今≠ヘまだ、一緒なんだから。喋る度に現れる白い息をぼんやりと見つめながら思う。
するとが、先端を切って喋り始めた。
「あと三日で、卒業式…なんだよね」
ぽつり、と。呟くように言った。さっきとは打って変わって、覇気が無い。実際明々後日…三月三日が卒業式とされているが、実質は違う。今日が、普通の学生生活最後の日だ。明日明後日は土曜日曜なので学校に来ることはない。引退してからわざわざ学校に休日登校する三年は今は殆ど見受けられなかった。だから、最後。なのだ。それなのに、やっぱり僕は心のどこかで、このまままだ学生生活が続くんだろうと思っていた。勿論、このまま青学の大学部へ進学することが決定しているので学生なのは変わらないのだけれど。でも、決定的に変わることがある。
「は大学別だもんなあ」
ぴくん、と英二の声に反応したのは他でもない、僕だった。窺うようにを見つめれば「うん…」と英二の問いかけに静かに頷く。そう、は青学ではない大学を受験した。その時は、僕も英二も一生懸命応援したし、の晴れての願いは叶ったのだ、嬉しいのに、複雑。それが今の僕の心境だった。
決して、「学生」と言う枠から外れるわけじゃない。けれど、春になったらが隣に居ないのだ。そう思うと、実感が沸かないながらも胸の奥がツクン、と痛んだ気がする。
「寂しくなるね」
ぽつり、と落とすように言うとが僕を見た。驚いたような表情が視界に映る。「どうしたの?」言えば、は一瞬口を継ぐんで「あ、ううん」と首を振った。それからくしゃ、と苦笑いにも似た笑みを浮かべて
「周くんがそう言ってくれるって思わなかったから。ちょっと吃驚しちゃった」
「え、僕ってから見て、そんなに非道な人間に見える?…友達との別れくらい淋しく感じるよ」
「えっ、違うよ!非道なんて思ってないって!ただ…結構周くんってドライじゃない?英二くんだったらなんかわかるんだけど…だから」
「確かに、言うイメージないよねん。でも俺ならわかるって…どういうことだよ!?」
「まあ確かに、英二は甘えただから」
「ちょ!」
そんな会話をしながら、歩いていると三人の家への分岐点が訪れた。ここで英二とはお別れだ。「じゃあまた三日に!」いつもの元気な声が道に響く。僕らは大きく手を振る英二に「また」と言う別れの挨拶を返して英二が手を振るのを辞めるまで見送った。さあ僕らも帰ろうか。その一言で再び歩き出す。いつもと変わらない帰り道。それなのに、どうしてこうも緊張するのか。歩く音がいやに鼓膜に響いて僕に届く。会話をしているのに、それに対して返事を打ったり賛同したりしていると言うのに、実際その内容があまり僕の頭には残っていなかった。程なくして、僕とにも別れの分岐点がやってきた。それもいつもと変わらない事だ。けれど、どうしてだろう。それを考えると、また胸が痛む。僕はそれを押しとどめるようにして「じゃあね」と口を開いた。「うん」の声を聴いて、僕は自分の家に続く道を歩き出した。その時、だ。
「あっ、周くん!」
その声が、掛かったのは。後ろを振り返ると、まだ歩き出してないの姿がそこにはあって。「どうしたの?」言うよりも早くが口を開いた。「…もうちょっと時間、ある?」僕の返事は決まっている。勿論、断る理由が無いって言うのもあったけれど、僕の目に映ったが、僕と同じように緊張しているのがわかったから、無下に断ることなんて出来なかった。いや、そんなの屁理屈だ。きっとたとえ緊張してなかったとしても断るなんて選択肢、僕は持ち合わせていない。だって、と離れたくない。あえて断らない理由を挙げるとするならば、それが一番適切だ。コクリ、と頷いて僕は元来た道を引き返す。そしてまたと肩を並べて歩き出した。僕らの行き道はもう決まっている。
さすがに、真冬の公園は昼間だと言うのに閑散としていた。そこで僕らは屋根付きのベンチに腰掛ける。学校を出るまで降り続いていた小雪は今や止んでいたが、地面等を薄ら白くさせていて、それが存在していた事を証明していた。公園に入る前に自販機で買った紅茶のプルタブを開けると小さな入り口から湯気が立ち込めた。ちなみにが持っているのはカフェオレだ。同じように蓋を開けてこくり、とそれを飲む。それから、一息。…何故か、緊張が走った。ぎゅっと口許を引き締めるの面持ちは真剣そのものだったので、僕は何も言えなかった。
「あの、なんかごめんね」
「何が?」
「今日、用事ありそうなのに、呼び止めちゃって」
突然の謝罪と彼女の言う用事≠フ意図が解らなくて、首を傾げるジェスチャーをすると、がぽつり、と呟いた。「だって、今日誕生日なのに」気まずそうに言う彼女の声が僕の脳を刺激する。ああ、家で何かするとでも思っているのか。僕の頭の中でそういう結論に達したので、僕はくすっと笑って返答を返した。
「何も無いよ。それに、もうお誕生会っていう歳でもないでしょ?」
「でも、周くんの場合、四年に一度なんだよ?」
その言い方は僕の誕生日と言うよりまるでの誕生日のような言い回しだったので、僕は笑ってしまった。確かに、四年に一度の誕生日、嬉しくないといえば全然嘘になる。今日も朝から何かしらの誕生日プレゼントを貰った。四年に一度の誕生日は、毎年来ないというちょっとした疎外感みたいなのがあるけれど、一度誕生日を言えばすぐに覚えてもらえるからこういうとき、ちょっと得だとも思う。こうして言ってもらえるのも閏年生まれの特権かもしれないし。とりあえず僕はを不安にさせないように「大丈夫だよ」と笑顔で答えると、ようやくの表情が和らいだ。
「よかったー…。なんかね、四年に一回って言うのと、明々後日には卒業だって思ったら、このままバイバイするの哀しいなーって思ってたの。だから、その…何も思いつかなかったんだけど、まだ一緒に居たいなーって。…英二くんは今日用事があるみたいだから引きとめられなかったけど」
自分の手でまだ中身の残っている缶を弄びながら、少し照れ笑いを浮かべる彼女を見て、どうしようもないくらい満ち足りた気持ちになる。さっき痛んだ胸は現金なもので、ぽかぽかと暖かくなる気がした。照れを隠すようにがコク、とカフェオレを飲んだ。そんな彼女を見たら、何故かようやく『卒業』の実感がふつふつと沸いてきて。ああ、今しかないんだ。と気づく。気づいたら、もう止められなくて、僕はゆっくりと口を開いた。
「ねえ、」
「んー?」
の緊張の無い声が、僕の鼓膜を刺激して。
ゆっくりと、息と一緒に思いを吐き出した。
「僕、の事。好きなんだけど」
君が思い出になる前に、伝えたいこと。
ずっと秘めていた想いを告げると、僕以上に顔を真っ赤にしたが居た。
「そ、れ…不意打ちだよぉ…」
そう言って赤らめた顔を両手で覆う仕草をするが愛おしい。その後紡がれた告白の返事に、僕はの身体を初めて、この腕で抱きしめた。
― Fin
あとがき>>高校生設定だと高三が閏年って時間軸的に変なんですが、あえてスルーの方向でお願いします。