ドクドクドクドクドクドクドクドク…―――
厭な程、高く波打つ脈を直に感じながら、私は大きく深呼吸をした。
2008年、二月某日。私の、大学受験日だ。これで、私の将来が決まる。
それはずっとずっとずっと憧れていた、青春学園。
私の実家はそりゃあもうドの付くほどの大田舎だった。そんな田舎に育ったら、一度は都会に住んでみたいと言う夢が出来るのは不思議なことじゃない。
TVなどで都会の事が放映される度に行きたいなあと夢を膨らませていた。その想いはどんどん加速していき、中三の頃には東京の高校を受験しようと心に決めていた。
思ったら即実行した。けれども東京の高校に行きたいと言ったら親にかーなーり怒られた。一人娘だし、都会に一人で暮らさせるのはさすがに危ないと思われたんだろう。
そんな両親の迫力に圧倒され、泣く泣く高校は近場で済ませた。でも、私も今年で(上手く行けば)大学生。十八歳。
さすがに親を説得できるほどに頑張った。今まではしなかった家事も、この日の為に修行を積んだ。
今までの私はと言えば、父親と一緒にリビングで寝転びながら『ママー!ご飯まだーー??』とか言ってる娘だったけれど(母親に『ほんと、お父さんが二人いるみたい!』と怒られたこともある)大学だけは、志望校を行きたいという私の切なる願いで、嫌いだった家事を嫌々手伝った。それのお陰で、今ではきっとかなり家事上手。
このときの為に家計簿だってつけたし、節約術も学んだ。
まあ、仕送りナシで自分ひとりで頑張る!とまでは行かなくて、結局は親のすねをかじるわけだけれども…。
そんなわけでとにかく全ては、今日この日に掛かっているわけだ。
私の大学生ライフがばら色になるか、それとも高校と同じくして灰色になるか。それは今日この日に掛かっていると言っても過言ではない(さすがに浪人生になることは許して貰えないだろう)
電車に揺られガタンゴトンと東京の地を踏んだのは昨日の事だ。
安っぽい(て言っても田舎の私からしてみれば結構高値)ホテルに一泊し、気合を入れて朝起きた。
そして、気持ちだけが焦ってすんごく早く来ちゃったわけだ。
目の前に聳(そび)え立つ青学を見て、唖然。おおお!地元の大学がちっぽけに見える…!じーんと感動しながら、(上手く行けば)春には私も此処の生徒かぁ…なんて思いを馳せる。ヤバイ、絶対合格しなくちゃ!
ようやく受付が始まったらしい。ドクドクドク。心臓が騒ぎ出す。なんてったって、此処が私の人生の分岐点だ。飛ぶか転ぶか。泣くか笑うか。そう思ったら口から魂が飛び出そうだ。ヤバイ、緊張をほぐすおまじないってナンだったっけ?がちがちになった私に「はい、頑張ってね」と優しい声が掛かる。が、ががが頑張りますよ!心の中で呟いて、こくこくこくと頷いた。あああ、変な汗が出てきたよ。私は緊張した体を無理やりに動かして、指定された教室へと急いだ。とにかく、落ち着け。落ち着くのだ。自分に暗示をかける。
さんざん迷った末、ようやく教室を発見した。(やっぱり私立、でかい!)
指定された教室に入ると、やっぱりそこには誰も居なかった。更に緊張が募る。綺麗に消された黒板と、遠くまで見える長机。ああ、目がくらんできた。
昨日した復習を懸命に思い出した。大丈夫、絶対大丈夫。ふう、と深呼吸をしてさあ、いざ受験番号の記された席に腰掛けよう。思って、先ほど提示した受験番号を見ようとした。
……
「あれ?」
けれど、無い。持っていた筈の受験番号が、私の手の中には無い。サアーーー、と血の気が引く。ヤバイ、落とした?不安が広がる。
「お、落ち着け、落ち着くのだ、私。無意識のうちにポケットとか」
独り言を吐いて、コートの両ポケットに両手を突っ込む。…無い。ああ、鞄の中だったかも?思って鞄の中を探る。手探りじゃ解らないじゃない。近くの机に鞄の中身をひっくり返す。出てくるのは問題集と筆記用具とお守りと―――。肝心のそれらしきものは、何も出てこない。
「…嘘!?」
此処まですれば、冷静で居られない。受験開始までまだ暫くあるが、このひっろい学園をどう探せと?…ああ、涙が出てくる。こんな失態、有り得ないでしょう。十八にもなったのに、なんてドジ臭いんだろう、と自分で自分を殴ってやりたい。
「さん?」
その時、だった。名前を呼ばれたのは。バッと勢い良く振り返る。きっと今の私は情けない顔をしているに違いない。聞き覚えの無い声に反応すると、やっぱり見慣れない男性が立っていた。「は、い?」泣きそうな声で返事を返すと、「ああ、よかった」と目の前の彼が優しく笑った。そして、差し出される、白いそれ。
「あ、ああああああああああ!私のですっっっ!!」
「あ、やっぱり?廊下に落ちてたよ」
思わず目が飛び出そうになった。大声を上げて思いっきり彼に駆け寄って掌に鎮座する白いそれを手に取った。近くで見ても遠くで見ても、間違いない。さっき必死で探していた私の私の大切な運命の掛かった受験票。ばっちり私の顔写真付き!目の前の人に「ありがとうございます!」と土下座しそうなくらいにお礼を言うと、彼が快活に笑った。「大げさだなあ」と落ち着いた声が振ってきて、思わず緊張が切れたのか涙が出た。
「お、大げさじゃないですよおおお、これ一つで私の人生が決まるんです…っ、あああ有難う御座います、ほんともう、有難う御座います…っーーー」
「君、此処本命なの?」
「は、はい…ずっと憧れてて、それで、それで此処」
「そっか、でも緊張してるみたいだね」
くすり、と落とされた笑みに、「だってだって」と慌てる。この落ち着きよう、きっと目の前の男性は先輩に当たる人なのかな?とか思う。だって、服装を見れば明らか。制服じゃないのだから。テニスサークルに入ってるんだろうか?ユニフォームを着ていた。その彼が、ふわり、と笑む。
「緊張は必要だけど、過度の緊張はダメだよ。適度なリラックスも大事なんだから」
「で、でも」
「大丈夫、君ならできる」
まるで、その言葉は魔法のようだ。今、たった今初めて会ったと言うのに、まるで昔から私を知ってる風な言い方。普通なら無責任な!と思うのに、何故かそう思わせない発言力。泣いていた所為だろうか、ポンポンと降ってくる掌。するとさっきまでどんなに頑張っても溶けなかった緊張が、一気に、すーっと沈下していく。ドクドクと波打っていた心臓は今やトクトクと優しい子守唄のようだ。
「落ち着いた?」
「は、い」
「よかった。じゃあ試験頑張ってね。君が合格することを一先輩として祈ってるよ」
そう言って踵を返すその人。ああ、やっぱり先輩なんだ。と彼の情報を一つ入手。去り行く彼を黙って見送った後、私は別の意味でドキドキしていた。
あ、ヤバイ、落ちた。颯爽と去っていった素敵な人。見事一目惚れをしてしまったらしい私。
恋に落ちても試験には落ちないでくれよ!と切実に祈った。いや、落ちるわけには行かない。来た当初とは違う意味で人生を揺り動かされた。
一足先に、私に春が訪れた。
数日後、私は見事試験合格を果たし、そして受験日から恋焦がれていた彼に出会うのは、入学式を終えたテニスコート場。
「ああ、やっぱり合格したんだ?これから宜しくね」
まるで私がここに来るのがわかっていた風な声に、また私の心臓がドクドクと鳴り響いた。
「自己紹介、してなかったね。僕の名前は不二周助。二年生だから君より一つ上」
彼の名前を聞いたのは、その後直ぐだ。
― Fin
あとがき>>初めは不二を試験当日の受付役員とかにしようと思ったんですが管理人は大学に行ってないので高校と一緒で役員と言う制度があるのか定かでは無かったので合えてやめました(笑)
お題:フェナントレンさま