綺麗にラッピングされたチョコを大事そうに抱えて、勇気を出して好きな人のところへと向かう姿。今日で何度目になるんだろう。今日という日をどれだけ楽しみにしていたのか、手に取るように解る。ほんのりと紅くさせた頬をほころばせて小走りしている少女を見つめて、私はふう、とため息を付いた。
そりゃあ、自分だってこの時期になると無駄に気持ちが浮ついて、手作りなんてしないけど、ついつい見て回ってしまったりした。買っていく少女達を見ると、誰も可愛い。いや、恋をしているからこそでる可愛さって奴だと思う。自分もあげるならああいう乙女な反応で渡したいものだと思う。けれども思うのと行動が必ずしも同じになるとは限らなかった。自分自身は結構もっと簡単に済ませちゃう方なのだ。何でも無い風に「ハイ、チョコ」と一言言って表面上義理みたいな感じで臆面もなく渡してしまう。だって、本命って感じでなんて渡せない。増してや、頬を染めて可愛らしく…なんて、絶対ムリだ。
一晩空けた今日、バレンタインデー当日。私は昨日悩みに悩んだチョコレートを鞄の中に入れ込んで(出来るだけ本命っぽくない、けれども結構なお値段のするものを選んだつもりだ)なんとか今年もかるーく渡せたら良いな、と言う気持ちで、意気込んだ(だって、本気なんて出せない。この関係が壊れてしまうのが怖いから、だ)
だけど、私の渡したい相手は結構難問で。
「えっと…大丈夫?」
この日の為にって頑張ってる可愛らしい女の子達にずっと追われて居る身だった。勿論彼はどんなに疲れていてもそれを顔に出さない。けれども疲れないはず、ない。だって、かれこれずっと休みの度に呼び出しだ。今は授業中なのでさすがに渡してくる女の子達はいない。現実、今のこの時間(授業中を表す)が今日の彼にとっては唯一心休まるときなのだと思う。
まさか、こういう状況が現実にありえるなんて思わなかった。去年も彼は貰わなかったわけではなかったけれども、今年は特別だと思う。何せ、去年の夏は全国大会優勝、だし。かなり有名になってしまったから。でもまさかこうまでとは…。だってこんなの、まるで…漫画みたいだ。
私の問いかけに「大丈夫だよ」と笑顔で答えてくれたけれども、きっとそれは気遣い。だって、疲れちゃうと思う。それなのに、自分の事よりも人の気持ちを第一に考える彼は凄いと思った。ふわりと笑む顔は相変わらず綺麗だ。
ちらり、と彼の机に掛けられている鞄を見れば、鞄に入りきらずに溢れているチョコレートが山のように置かれている。
皆が皆真剣なのだと思うと、ツキリ、と胸が痛んだ。
「チョコくれた皆可愛かったね」
「え?…うーん」
曖昧な返事。と言う感じだ。今までの事を回想しながらの台詞と言う声色だった。その表情は苦笑にも似ていて。でも実際、渡しに来る子たちは皆可愛い顔をしていた。きっと一生懸命な気持ちが溢れているからこその表情だと思った。今日と言う日をくいの無いように過ごしたいという表れなんだろう。自分には到底出来そうにない、と思う。羨ましい。切に思う。
「…好きです」
私の言葉に、周助が顔を上げた。その表情はさっきまでのポーカーフェイスではない。驚いた風な表情だった。「えっ」その声も然り。
かあ、と顔が紅くなるのがわかって、私は矢継ぎ早に口にした。
「いや、…その、そうやって貰うのかなって」
「…え、あ、ああ…う、うーん、」
歯切れの悪い台詞に、疑問。なんでそんなに驚いているのだろう。と同時に、私がもし告白してもこういう反応なんだろかと思うと辛い。希望薄ってところだ。
でもそんな様子を気づかれたくなくて、私はきょとん、と周助を見つめていると、周助はなんとなくだけれど私と顔を合わせたくないようだった。視線が逸らされる。
「…そんな、ストレートなものは殆ど無いよ。『これ、どうぞ』とか、『受け取ってください』とか…そんな感じだし」
「でも殆どって事は少しはあったってことでしょう?」
「…まあ、ね」
思わなかったわけじゃない。そりゃあ彼くらいになったら告白されることもある。それが今日と言う行事なら尚更だ。
でも、だけど…やっぱり本人から聞かされるのと自分で予想しているのとでは違う。全てが、重みを帯びているのだ。
「そっか…」私の声は自ずと小さくなっていた。
「…でもがそんなこと訊くなんて珍しいね」
「えっ」
今度は私が驚く番だ。ドキドキドキと胸が高鳴る。不思議顔が私を覗いていて、さらに鼓動がヒートアップする。それから続く言葉は「もしかして、上げる相手がいるの?」どうやら周助は私を心臓麻痺にでもしたいらしい。ドクドクと血液が騒ぐ。それでもやっぱり悟られたくない気持ちが先に出てどうしても素直になれなくて「別に」と返すことにした。いや、本当は此処で「うん、実は」って言うことも考えた。でも、目に映る周助の顔が、余りにも真剣を帯びているように見えて…いえなかったのだ、どうしても。
「本当に?」
私の言葉を更に追求するような台詞。その声は疑っているように思えてならない。もしかしたら周助にはこの気持ち、全てバレているんじゃないかって。本当は全部知られているんじゃないかって。
やっぱり周助は真剣な顔。これじゃあ、今更「上げる相手がいる」なんて言えない。寧ろしかもそれが目の前にいる不二周助と言う男なんて、絶対言えない。
こんな会話した後だ、妙に緊張が走る。今年も去年と同様になんでもない風にチョコをあげようって思ってた。それなのに、無理そうだ。
今年のチョコは、渡し辛くなってしまったことに今更ながら気づく。
「ねえ、周助は、さ…やっぱり、上げる相手が居るなら、渡した方が良いっておもう?」
なんで、周助に聞いてしまったのか。後悔してしまったが、それは一瞬の事だ。私の問いかけに、彼のシャーペンの音が止んで、一度だけ、私を見た。けれども、直ぐにそれはそらされて「…がしたいならそうすれば?」素っ気無く返されてしまった。いつでも、相談事とか、ちゃんと聞いてくれるのに、今回は何故か素っ気無い。素っ気無い、と言うか…何処か、ふて腐れているような気がする…ような気がしないでもない。もしかして今あげる人いないと言ったくせにそう聞いたことがいけなかったのか。嘘をついたことがバレてしまったわけだから。
何だか空気が悪くなってしまって、とりあえず茶化すように話題を変える事にした。
「あ、でもさ、男の子って良いよね。チョコレートもらえたり、告白もされたり。ホワイトデーって来月あるけどさ、それも女の子が今日と言う日にチョコあげなかったらもらえないわけだし…なんか、良いよね。そう考えると男子って得な気がする。…良いなぁ。私も一度で良いから告白されてみたいよ。バレンタインだから女の子から…って言うのがセオリーだけどさ、こういう日だからこそ男の子からって言うのもいいと思わない?」
………………………………………。
沈黙が、痛い。周助を見れば、何言ってるの。って顔。あああ、いつものポーカーフェイスでもそれでもわかるって…!あ、ゴメンナサイ。スミマセン。申し訳ありません。どれがこの場の雰囲気に合うだろう。そんな事を思った。「なあんて冗談」言おうと思ってた言葉を脳内で整理して、口を開いた。
けれども、それよりも先に口を開いたのは周助だった。
「じゃあ、ハイ」
「…え?」
突然。それは本当に突然だ。差し出された右手。グーにされたそれは何かよくわからなくて。思わず交互に見やれば、周助が何してるの、と言いたげな表情のままで「手」と短く言った。あ、っと思って慌てて自分の右手を差し出す。そうすれば、コロン、と手の内に落とされる…
「…チョ、コ?」
これは、どういう…。自分で言ったくせにどうやら混乱中らしい。
上手くついていけない脳味噌で必死に考えていると、感覚的に周助が喋ることがわかって、チョコレートから顔を上げて彼を見た。
その表情は、さっきよりも更に真剣で。
「…好きです」
予想外の、言葉。ドキン、と胸が高鳴った。呼吸の仕方を忘れたみたいに、時が止まったみたいに、私は動けなかった。どう反応すれば良いのかも解らなくて。言葉の意味も理解、出来なくて。ようやく口を付いて出たのは「え、え…?」と何とも間の抜けた声だった。そうすれば、いつものポーカーフェイスの彼の、ほんのちょっぴり紅い顔。
なんか、周助が別の人みたいだよ。
「…結構恥ずかしいね、こういうの」
そう言って、逸らされた瞳。…本当、どうすれば良いの。私は呆気にとられるしかなくて。頬杖を付いてそっぽを向いてしまった彼の後頭部を見つめることしか出来ない。
「あ、の…周助さん?」名前を呼んでも返事が帰ってこない。いつもの笑顔が見れなくて、どうしようかと考えて、躊躇しかけた手で、「ねえ」と彼の肩を掴んで振り向かせようとした。ぐい、と引っ張ると、
「ちょ、ごめん」
「…え、あ…っ」
さっきとは比べ物にならないくらい、真っ赤な顔の周助が居て。それを悟られないように顔の前に来た右手。それでも、バッチリ見てしまったのだ。これって、もしかして。自惚れても良いんだろうか。だって、アノ周助が、顔を真っ赤にして…。「しゅう、すけ?」「ごめん。今ちょっと余裕が無いから」
安定な気持ちに、唐突に上乗せされた気持ち。
色々考えて、今あった出来事を思い返して、ようやく混乱した脳を整理させて…。私なりに出した答え。
去年と同様に義理っぽく渡せば良いと思ってたチョコレート。だけど、予定変更。
今年は勇気を出して本命チョコとして渡してみよう。そして、言うんだ、今日こそ。
「貴方が好きです」
って。授業が終わったらほかの誰よりも早く彼の時間をキープしなくちゃ、と心の中で誓った。
― Fin