04
恋をしていた。季節は夏、秋、冬、春、そしてまた夏を…と、季節は巡り、彼に恋をした二度目の冬がやってきていた。時は二月の半ば。
色めいた教室に、小さなため息が零れた。いつにも増して賑わいを見せる室内に、たかだか小さなため息など気にも留める輩はいない。小さな息は空気に儚く消えた。
本日、バレンタインデーである。この日は女の子は勿論、男の子の心も忙しい。
本命のいる子は数日前から心穏やかではいられない。受け取ってもらえるかな。自分の気持ちを受け止めてくれるかな。と心躍らせる。
男の子も勿論期待している。本命の子から願わくば貰いたい。好きな子がいなくてももう義理でも構わないから一つはほしい。必ず一クラスの中の5分の1の男子は目論んでいるだろう。
二度目のため息が、の桜色の唇から零れ落ちた。机の右隣のフックに掛けてある自身の学生カバンをそっと撫でる。そして、三度のため息。
心の臓がまるで、別の生き物のように、うごめいている。放課後だと言うのに、今日は実に人が多い。いつもは足早に帰っていくクラスメイト達は、そわそわした手つきで教室の片隅でトランプをしている。隙あらば。今ならば、彼らの心情を簡単に掴むことができるだろう。
自身の机で頬杖を突く仕草をした際、そっと左後ろの席を流し見た。其処はすでに空席であるものの、カバンだけが取り残されている。学校内に居る事は、それだけで理解できた。
―――と、言うのも、終礼が終わった即座に、クラスメイトの女子が教室外へと連れ去ってしまったからだ。
何故、等野暮だ。時はバレンタイン。頬を紅潮させた女子に、左後ろの席は男子。十中八九、愛の告白だ。間違いない。
彼が連れ出されたのは、もう十数分も前の事だ。の心中穏やかではいられなかった。どうしよう。心がざわめく。もし、縁談がまとまっていたら。嫌な汗がの背後を伝った。
結ばれてしまっては困る。
きっと結ばれる事等無いと、思ってはいても、それでも万一つの不安がの脳裏をよぎった。
不二君。
心の中で彼の名前を呼ぶと、ガラリ、教室のドアが開け放たれた。バッと弾かれたように顔を上げると、そこに見えるのは先ほどの空席の主。その手にはプレゼントらしきものは見受けられなかった。
の胸に、安堵とそして申し訳なさがない交ぜになり、複雑な心境に包まれた。
「、帰ろう」
掛けられた声に、は平然を装って、机に掛けていた学生カバンを掴むと席を立った。そして二人歩き出した。
凍てつく寒さが、素肌を刺すように攻撃した。別の意味で顔を朱色にさせたは、巻いていたマフラーを鼻元まで引き上げると、顔半分をきれいさっぱり覆い隠した。てくてくてく。いつもとは違い、無言が世界を支配する。
不二の様子を伺おうとちらりと右隣を見上げたが、その顔はいつもと変わらずで何を考えているかわからなかった。着ぐるみ剥がされた木々の下をただ静かに二つの足音が通る。
「……さっき、」
意を決して、話しかけたのはだった。ん?とブラウンの髪が揺れる。ストレートの髪の毛が北風に揺られ、ふわりと踊ったのを目の端で確認して、生唾を飲み込み。
「…告白、だった?」
「……あー、うん」
震える声でどうにか紡ぐと、聞こえるのは肯定だった。ツクン、胸の奥が小さく痛む。カラカラに乾いた喉から、ひゅ、と音が漏れて、「…チョ、コは」かすれた声が、二人の間を通った。
「貰ってないよ」
穏やかな声が、降り注ぐ。その言葉にやっぱりは安堵して、同時に申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだ。困惑した表情に、不二が苦笑したのが雰囲気でわかった。「そんな気にしないで」ぽん、と降っていたしなやかな手のひらがの小さな頭を二、三撫でた。
「違う、の」
「うん?」
「申し訳、なくて。不二君なら、きっと私と付き合ってる手前チョコ受け取らないって、わかってはいるの。それが嬉しいって思う反面、自分も片想いしてた気持ち、わかるから。切なくなるの」
「貰った方が、良かったってこと?」
ふるふる、と不二の言葉に小さな頭が横に振られた。
それは嫌なの。弱々しい否定が不二の耳に届く。
「本当は、寛大になってチョコくらいって思わなくっちゃ駄目なのくらい、わかってるの。でも、どうしても…心から良いよって思えなく、て」
「うん」
「…ごめんね、こんな彼女で」
ついには泣きだしてしまいそうな表情に、不二は歩みを止めての顔を覗きこんだ。揺れる瞳からは不安が見て取れる。違うよ。落ち着いたテナーの声が、きっぱりと言った。
「が気にする事じゃない。だって僕はチョコを受け取ることで、の笑顔を曇らせたくなかっただけ。他の子が笑ってくれても、が笑ってくれないんじゃ、意味がない。だからこれは僕の自己満足。君が気にする事じゃないよ。だから、には笑ってほしいんだけど」
真摯な瞳がを射抜く。どくりと血管が波打った。笑って。そっと触れた掌は春の木漏れ日のように温かい。の瞳から今にも零れ落ちんばかりの涙を、そっと白い手が取り除く。生温かい雫はすぐに冷気に晒され水となった。
震える声が不二の名前を紡ぐ。笑みを浮かべると、美しさにより磨きがかかったかんばせがの視界をいっぱいにする。
「だから、ほしいな。のチョコ」
そっと、囁くように落とした台詞に、ぴくりと身体が強張った。それから、恐る恐るカバンのジッパーを開けると、そこから出てくるのは四角い丁寧に包装された包み。カバンをひじにかけると、震える両手が包みを丁寧に持ち、―――不二へと差し出された。
「………はい」
「…はい、何?」
解っているくせに、そう言うのは言わせたいから。も彼の意図には気づいていた。「…解ってるくせに」ぽつりと呟いた文句はいたずらな笑みに流された。いつまで経ってもの手から離れる事のないピンクの包み。二つの視線が重なる。じっと見つめられ、折れたのはだった。
「………好き、です」
震える声が、白状した。頬に、寒さとは別の意味の朱が、そっと染まった。「僕も好きだよ」降ってきた台詞と共に、彼女はそれ以上何も言う事は出来なくなった。ただ、静かに重なった唇が二つの熱を共有した。
― Fin
後書>>Perfumeの「チョコレイト・ディスコ」時期が時期なのでバレンタインネタ一つやりたくて…(笑)
2012.02.12