05
 
 
 
 
 
普段のくるくると緩やかなカールした髪が、雨で濡れ落ちた。サアサア、と降りしきる雨を遮るものは何も持ってない彼女に、そっと雨を遮断させる傘が差し出された。突然、体躯を攻撃していた冷たい水がシャットアウトされた事に、は顔を上げ、気づいた。「周ちゃん」呼ぶ声は頼りなげで、今にも消えそうだった。
 
「な、んで」
 
その声は、震えていた。歪んだ表情が、不二の双眸に映る。まるで本当に人魚姫のように、泡になって消えてしまいそうで、不二は手を伸ばした。雨に打たれ続けた彼女の身体は、体温を失っていたが、確かに此処にあることに、不二は安堵する。雨で解らなかったが、声の質からして、きっと泣いているのだと言う事は、明確だった。「あんなメール来たら、捜すに決まってるでしょ」穏やかな声がかぶさる。
 
「助けて」と言うメール。場所も何も書いてない。デコレーションメールを好む彼女からの、絵文字すら何一つない、テキストメールが届いたのは、数時間前の出来事。「来る、なんて予想外」ぽつりと呟かれた台詞に、不二はふう、と息を吐き出すと「そりゃあね」と声を紡ぐ。
何年一緒に居ると思ってるの。続いた台詞に、ようやっとの顔が上がった。俗に言う幼馴染。それが二人を指す関係だった。だから、指定場所がなくても解ってしまった。此処は不二と、そして不二の姉弟である由美子・裕太の四人で良く遊んだ公園だったから。
帰ろう。
促すもは何も言わずただ動こうとはしなかった。それが拒否だと理解して、「でもこのままじゃあ風邪ひくよ」変わらず優しい言葉を重ねるも、はただ地面を見やり黙っていた。梃子でも動かないと言う事らしい。けれど不二は、本当に彼女の身体が心配だった。ごめん。呟いた台詞に、が顔を見上げ何かを紡ぎ出す前に、ひょいっと軽々と彼女の体躯を抱き上げると、抱えて歩き出す。
 
「ちょ、周ちゃん!濡れちゃうよっ」
「構うもんか」
「駄目だよ!それにあたし帰りたくないんだってばっ」
 
ポタポタとの髪の毛から水滴が零れ落ち、不二の顔を濡らす。もう、抱き上げた瞬間に自分の服も濡れてしまったから関係ないとでも言うように、不二はの拒否を受け入れなかった。少し離れた、屋根つきのベンチまで辿りつくと、そっと彼女をそこへ下ろした。え、と見上げたの瞳が不安げに揺らめいたのを見て、
 
「帰りたくないなら、良いから。でもせめて座ろう」
 
いくら六月と言っても、寒いだろう。と不二は言葉を続け、隣に腰かける。肩にかけていたテニスバックの中から本日使う事のなかったタオル――部活はこの通り中止となったのだ――を取り出すと、の頭をかしかしと拭いた。されるがままにが身体を預けたので、少しだけ安心した。
 
「好きな人がね、出来たんだって」
 
ぽつり・ぽつりと落とした声は、やはり頼りなげに震えていた。不二は何も言う事が出来ず、ただただ髪の毛を乾かすことに専念する。きっと今どんな慰めの言葉をかけたって、の心には届かないだろうことが、長年の経験上解っていたからだ。並べた両足に、ポタ・と一滴のそれが落ちた。髪の毛は大分乾いている。涙である事は明確だった。
には恋人がいた。文字通り、今日限り、となってしまった元恋人が。初めての彼氏で、嬉しそうに一喜一憂していたのは、不二にとってまだ真新しい記憶だ。本当に幸せそうに語るから、不二は良かったね。と笑う事しか出来なかった。――彼は、に対し幼馴染以上の気持ちを持っていたが、その想いに蓋をした。それから、たったの
3か月あまりにも短すぎる終焉に、不二は相手の男に憤りを感じた。タオルをにぎる手に、思わず力が加わって、痛いよ、と言う声に、自分が憤怒している事に気付かされた。ぱ、とタオルをの頭から離すと、ようやっと二つの瞳と見つめ合う。
 
「周ちゃん、怒ってるね」
「……」
「ありがとうね、あたしの為に怒ってくれて」
 
違う!思わず荒げそうになるのを堪えて、不二は曖昧に微笑んだ。
違うのだ。の為ではない。自分の為だ。と、気付いていたから。恋人同士の二人を見て、羨んだり、妬んだりしたこともある。けれど、それでもが幸せならと、納得させたと言うのに。それなのに、たった三月(みつき)で別れる事になるとは。元彼が許せなかったのだ。
 
「…好き、だったんだけどなあ」
 
女子特有の高い声が、音を紡ぐ。表情を見れば、奥歯を噛みしめ、今にも泣きそうで、けれどももう泣かないと決めたように、堪えているようだった。健気な仕草に、不二の胸が痛む。あんな奴の為を想って泣くな。と声を大にしていってやりたかった。
 
「……うん」
 
けれども、不二の口から零れ出たのはたったの二文字だけだった。ぎゅっとこぶしを作り上げて、ただただ強く握る。手の先は白く変わっていた。きっと手のひらには爪跡がくっきり残るだろう。と予想される程、強く。すると、その右手にそっと冷たいそれが触れた。双眸で確認すると、それは自分より幾分か小さなの左手だった。一瞥した後、恐る恐るへと視線を向けていると、たおやかな笑顔とかち合った。
 

「周ちゃんの方が、泣きそうな顔してる」
「…」
「…ありがとう」
 
辛いだろうに、はただ優しく不二へ、笑顔を向けた。ツクン、ツクン、と胸が痛くなり、ついにはツンと鼻まで痛くなって、今、自分が泣きそうになっている事に気付いた。
 
「なんで、笑えるのさ」
「だって、周ちゃんが本気で辛そうにしてくれるから…だから、なんかすっきりしたの」
 
花が、ほころぶような表情だった。
その笑顔に、また不二は彼女に恋をするのだろう。
 
 
 
 
 
― Fin
 
 
 
 
 
後書>
>森高千里さんの「雨」。切なくなる歌です。
2012.02.07