「不二なんか、大っっっっ嫌い!!!!」
そう言うと同時に、あたしは彼に渡そうとした包みを乱暴に持ち、彼の家を飛び出した。
チョコレートに想いを寄せて
不二の家を飛び出して、あたしは一人公園に来ていた。二月と言うこともあり、公園で遊んでいる子は、誰一人としていなかった。あたしは、空いているブランコに座った。キィキィと、金属音を奏でながら、ブランコが揺れる。その音を聞き、冷静になって考えてみると、我ながら馬鹿なことをしたなと、へこむ。
「なんで、あんなこと言っちゃったんだろ……」
大嫌い、なんて嘘。本当はただのやきもちだ。……今日は2月14日。属に言うバレンタインデー。女の子が、好きな人に気持ちを伝える日。あたしも、今日彼のためにチョコレートケーキなんてしゃれたものを初めて作ってみた。彼の喜ぶ顔が見たくて。ただ、その一心で。それだけのために。不器用ながら、昨日、遅くまでかかって完成させたのに……。幸い、14日は土曜日だったから、彼もチョコレートなんて貰わないだろう、なんて思いこんでて。
……考えが甘かった。
休みだからといって、来ないとは限らなかったのだ。中学最後だから、近くを通りかかったから……。そう言って何かと理由をつけて、不二の家へ来る女の子達。それも、数分間隔で、狙ったかのように来る。その度に、「ちょっと待ってて」と部屋を出て行く不二の姿。戻ってくる度に、何かを持っている彼氏の姿。それが、嫌でたまらなかった。そんなの心が狭いと言われたら、その通りだし。それはわがままだと言われたら、確かに反論できない。でも、それでも……今日だけは、二人でゆっくり過ごしたかった。
この、ケーキも一緒に食べようと思ってたのに。
大嫌い、なんて言わなければ良かった。なんて……今ごろ後悔しても、遅いけれど。膝の上に置かれた、包み。その包みが、何故だか無性に情けなさを象徴させていて。……思わず、じわっと涙腺が緩む。
「……不二の馬鹿」
……違う。馬鹿なのは、自分自身。本当はただ、悲しかったんだ。本当はただ、悔しかったんだ。不二と付き合うようになってからも、止むことの無い、告白。「モテる彼氏で良いじゃないか」と友人に言われたことが、あったけど。告白されているところや、今日みたいにチョコを貰っている姿を見るたびに。「お前と不二じゃ、不釣合いなんだ」と女の子達から言われているような気がして。たまらなく嫌だった。辛くて、とても苦しかった。それで、不二は何も悪くないのに。悪いのは、自分なのに、やつあたりなんかして。家を飛び出して。ただの、子どもじゃないか……。
「すっごい惨めだな……あたし」
そう誰に聞かせるでもなく、あたしは静かに呟いた。
ブランコが、揺れる。……キィキィと、同じ音を繰り返しながら。ただ、静かな公園に響き渡る。そして、ブランコが揺れるたび、あたしを冷たい風が包み込む。「さむ……」あたしは、小さく身震いして、身を縮めた。コートも、マフラーも、手袋も、全て不二の家に忘れて来てしまったので、今のあたしは、あまりにも無防備だ。冷たくなった手を、少しでも暖めようと、せめてものあがきで息を吐きかける。じっと見ていると、その息がとても、白いことがわかる。その白い息をボーっとしながら見ていると、暖かなモノが、あたしの体を包み込んだ。……振り返らなくても、わかる。
「……捜したんだよ、凄く」
それは、あたしの大好きな、声。愛しい、愛しい人のぬくもり。優しく響く、大好きな声。優しく伝わってくる、愛しい人のぬくもり。ああ、あたしはこんなにも幸せなんだ。と、実感した。良かった、と安堵の息を漏らす彼の声が、とても、優しくて思わず、涙が溢れた。その涙が、ゆっくりと静かに頬を伝う。あたしは、不二に気づかれないように、その涙を乱暴に拭った。
あんなに酷いこと、言ったのに、なんでこんなに優しいんだろう……
そんな思いが、込み上げてきた。何だか、自分がとても馬鹿らしかった。
「……?」
不思議そうに、あたしの名前を呼ぶ、彼。
「ご、ごめ、んなさ、い……っ」
涙のせいで、途切れ途切れになってしまった。声も震えている。あたしは、目に溜まった涙をこれ以上出させないようにするので精一杯で、それ以上の言葉を、紡ぐことは出来なかった。「……僕こそ、ごめんね?」不二の言葉に、思わず振り向く。すると、不二はあたしの頬を自分の手で優しく包んだ。
「泣かせちゃって、ごめんね」
「不二」
「の気持ちに、気づかなくて、ごめんね」
不二は、あたしを抱きしめる。強く、でも……優しく。まるで、壊れ物を扱うように。あたしの体も、心も温めるように。そして、今までの不安を、取り除くように……。あたしは、瞳を閉じて、彼の背中に手をやって、顔を埋めた。不二は、その間ただ静かにあたしの頭を撫でてくれていた。
「さ、もう帰ろう?送っていくから」
いつまでそうしていたのかは、わからない。ただ、気がつけばすっかり辺りは暗くなっていて日はすっかり傾いていた。あたしはただ、静かに頷き、笑顔で差し出された手を取り、ゆっくりと歩き始めた。
「あ、不二」
「ん?」
のもつかの間。あたしは、思い出したように、白い包みを不二の前に出す。どさくさに紛れて、渡し損ねるところだったその箱を、不二は一瞬惚けたように、見やる。
「不器用なりに、頑張ったから……!」
辺りが、暗くて良かったと、思った。だってきっと、今の自分の顔は、とてつもなく赤いだろうから。「有難う」不二の優しげな声が、あたしの耳に届く。それと同時に、手の重みが、ふわっと軽くなった。あたしは、恐る恐る不二を見ると、いつもの笑顔があたしの目に映った。
「開けても、良い?」
「う、うん」
あたしの言葉を確認すると、シュルっと言う音を立て、包みのリボンが解かれた。続いて、ガサガサと紙の音が耳に伝わる。そんな音を聞きながら、あたしは早く見て欲しいという期待と、幻滅されないかと言う不安な気持ちの中にいた。と、そういうことを考えている間に、いつの間にか不二は、包みをキレイにとって、嬉しそうに箱を開けた。ドキドキドキ……心臓が今にも破裂しそうだ。あたしは高鳴る鼓動を鎮めようと、ふぅ……と深呼吸をして、息を整える。そんなあたしの心中を知ってか知らずか(多分知っているんだろうけど)不二は、クスっと笑った。
「美味しそうだよ」
「でも、味のほうが……」
不安げにボソッと呟くあたしに、不二は「が作ったのだよ?美味しいに決まってるじゃない」と言ってくれた。でも、その言葉を聞いて、あたしが作ったから、敢えて不安なんだけど、と心の中で思った。……まぁ、そのことは、不二には言ってないけれど……。
「食べても、良い?」
「え……でも、フォークないよ?」
「まあ、すぐ食べられるように、切ってはあるけど……」と言うあたしの言葉を聞く前に、不二はケーキの生クリームを指でとって、食べた。あたしが「行儀悪いよー」と言うと、不二は変わらぬ笑顔で「だって、早く食べたかったから」と続けた。
「うん、美味しい」
にこっと、微笑む。そのときに、不二の薄茶色の髪が頬にかかった。そんな、仕草を見て、ああ、やっぱりキレイだな、と思う。
「も、食べる?」
不意に、不二に問われて、間の抜けた声を出してしまったけれど、こくりと頷き、じゃあ……、とケーキを掴もうと手を伸ばす。すると、
「違うでしょ?」
優しい声が、頭上から振りかかる。え?と不二を見ると、あたしは唇を塞がれた。「…んっ」瞬時に、甘いチョコの香りと味が、口の中に広がった。初めてのことにあたしは混乱状態だったためか、今の状況を理解するのに、暫く時間がかかった。暫く経って、ようやく唇が離れる。いつもと違うキスに、あたしは戸惑いを隠せず、ただただ顔を伏せると、不二はいつもの笑みを浮かべて、あたしの耳元で囁いた。
「最高のバレンタインだよ」と。
そんな不二の甘い言葉に、あたしが腰砕けになったことは、言うまでもない……。
― Fin
2005/02/07