2月14日。
バレンタインデー。

それは私にとっては不必要な行事の一つだったというのに。



最悪・最高二つの気持ち





「……用意してきた?」
「もち!ばっちりだよ」

ヒソヒソヒソと。今日はいつもと違う空気が教室に流れている。なんと言うか、みんなそわそわして落ち着きが無い。そんな中、一人の少女はいつも通りの表情だった。少女の名前は、はいつもと違う雰囲気に包まれた教室を一瞥すると、小さく息を吐く。それから普段どおりの表情を繕って、教科書を机の中から取り出すと、それを机でとんとんとそろえた。それからその教科書一式を鞄の中に入れる。すると、横で聞こえるのは、女の子の黄色い声。一気に興奮気味である。きゃーきゃーと騒ぎながら顔を赤らめるその姿をは眉をひそめながら見つめた。勿論、そんな表情が誰にもバレないように気を使いながら。

……はあ、うるさい……

それからまた俯きがちに前を向くと、額に手をやった。手で全く見えなくなってしまったの表情。その隠れてしまった表情にははっきりと「うざい」と書かれているようだった。「さん」は、っとは名前を呼ばれて我に返る。鬱な表情をやめて、平然を装うと、上を見上げる。声をかけてきた時点で誰だかわかった。確かめると、やっぱり正解の人物。にっこりとまるで背景には普段見える教室の一角ではなく、バラとかとにかく綺麗なものが彼を彩っているようだった。

……はあ。

は心の中で盛大なため息をつく。あとちょっとでこの長い疲れた1日が終わると思った矢先に。はついてないと心の中でぼやきながら、にこにこと笑っている彼の名前を呼ぶ。勿論、ため息をついたことなどバレないように、変わらずな表情で。そうすれば、彼は笑顔のままでを見る。

「今日、日直一緒だよね?それで、先生に呼び出されたんだけど」
「ああ、うん。えっと……不二君この後部活でしょう?先生のところには私一人で行くからいいよ。不二君は部活へ行って?」

不二の途切れた言葉を先読みして、は言葉を続けた。ふんわりと、相手を気遣ったような言い方だけれども、本音は。『一人にしてくれ。』である。しかし、のそんな本音は相手に伝わることなく(当たり前だが)終わりを告げる。

「そんなわけには行かないよ。大丈夫、手塚には言っておいたから」

なんてことだ。は不二の言葉に、心の中で舌打ちをした。
しかしそれを表に出さないように、少し俯きがちで「でも」と言葉を続ける。

「ほら、行こう」
「え、わ、きゃ……!」

それはもう軽やかに。当たり前のように不二はの腕を掴むと、引っ張った。体が浮く。突然の事態には混乱しながら、不二を見た。不二はやっぱり笑顔のまま歩く。は慌てて周りを見た。そして、また心中で嘆く。

あーもうっ!見てる、見てるよ〜!痛いよー

勿論、見てるのは女の子たちであって。痛いと言うのは腕、のことではなく、見ている女の子達の視線。何やら殺気っぽいものを感じながらは不二に引きずられ、教室を後にした。命の灯火が消えかけたような気を感じながら。

「ふ、ふ、不二君っ!」
「何?」
「あの、私、ちゃんと歩くから、その……離してくれない?」

てか、離せ。とは言えないので、後半部分は飲み込む。にこりと、不二があくまで笑顔で対応するならそれに乗ってやろう。はもうなんだかわけのわからないことを考えながら、ふふふと笑う。不二は笑顔対決などしているわけでも、ないと言うのに。しかし、の笑顔効いたのか、はたまた全く関係ないのか、不二はの腕をようやく開放した。廊下で凄い注目を受けたものだ。は心の中で涙して、敵(自分が一方的に思っているだけ)を見た。敵は綺麗な微笑を浮かべながらごめんと謝ると、職員室のドアをノックする。それからドアを開けてに先に行くように言ってはそれに笑顔でお礼を述べて職員室に入った。



先生の呼び出しは、至極簡単なものだった。それと言うのも、先日テスト後恒例の席替えを行ったのだ。それの新しい座席表を作るように、それが用件だった。はそれを聞いて、一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに取り繕って、笑顔で了解すると、先生から白紙の紙を受け取った。こんなことなら一人だけ呼べっての。心の中では毒づきながら。それから二人で教室に帰る。教室は来るときと比べ、人はいなくなっていた。なんでこんなときに。は泣きたくなるのを押さえながら、自分の席に着く。そして、先ほど先生から受け取った白紙の紙を自分の机に広げた。次に鞄からペンケースを取り出し、続いてシャーペンと物差しを取り出す。不二は慣れた手つきで作業を進めていくを数秒見た後、自分もの前の席に座った。はそれを見て、きっとこの前の席の女の子が今の状況を見たら、泣いて喜ぶだろうと思う。それから不二に向かって微笑んだ。

「あの、不二君?部活行ってもいいよ?先生からの呼び出し、これだけだし。これだけなら私も出来るし」

ふふっと腰の低そうな態度で言えば、不二は一瞬きょとんとした顔を見せた。
しかし、それはすぐに消えて、またいつもどおりの笑顔。それから、大丈夫、との言葉に首を振った。

大丈夫じゃないんだよ。気づけよ、全く。

そう言いたいのを堪えて、は負けじと笑顔を浮かべる。

「でも、本当にいいの。部活へ行って?ほら、確か……今日って後輩に教える日でしょう?」
「あれ?さん知っててくれてたの?」
「え…、まあ……」
「嬉しいな、まさかさんが知っててくれてたなんて思ってなかったから」
「そんな……」

はっ。そこまで言って、は自分を取り戻した。マズイ、流されていた。このままではうまく丸め込まれてしまう。

恐 る べ し 、 不 二 周 助 。
こうやってうまく交わしていくのが彼の作戦なのか。はキッと不二を見て、また笑う。

「だから、後輩が待ってるよ、行ってあげて?」

何とか流れを自分の方向へと持ってきて、はシャーペンをぎゅっと握った。頑張って、と言うジェスチャーを加えて。そうすれば、不二はを不思議そうな瞳で見る。はそれに気づいて、きょとんと目を丸くさせた。それから、首を傾げる。我ながら演技が細かいと、自画自賛して、は不二を見た。

「……いや、さんって演技うまいなーって」
「は…?」

思わず、は間抜けな表情を浮かべてしまった。慌ててそれを直すと、また小さく笑う。引きつり笑いだったけれど。不二は未だに不思議そうな顔でを見ていた。そして、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「だって、さん、僕のこと嫌いでしょう?」

知 っ て た な ら 、 は よ 部 活 行 け よ 。
は心の中で不二に暴言を吐いた。しかしそれとは裏腹に吃驚した表情を浮かべる。それから片手をブンブンと振った。

「えっ、ど、どうして?私が不二君を?そんなわけないよ…っ」
「そんないいよ、誤魔化さなくて」

しかし、すぐに不二が笑って返す。は一瞬ぐっと言葉に詰まったが、すぐに首を横に振る。本当にそんなことない、と。実際は、そんなことあるのだが。まだシラを切りとおそうと思ったのだ。

「だって、職員室行くときとか、まあ今とか、一瞬だけど、さん僕を見るとき嫌そうな顔するからね」

だが、すぐに無駄だと思い知らされた。不二はさも普通の会話のようにサラリと言ってしまったが。が言葉を無くすには十分な一言だった。言いたい言葉が浮かんでこない。違う、と否定したかったけれども、今のには無理だった。もし言ったところで、不二は信じてくれないだろう。全てを見透かされているような瞳が、を捉える。拘束されたように動けなくなった。

「……なんで、わかったの?」

完璧な演技だったはずなのに。嫌な顔したと言っても、本当に不二の言うように一瞬だったはず。それなら見間違いかな?って思うはずなのに。詰めが甘かったのか。不二周助と言う男を甘く見ていたのか。の脳内は小さくパニックを起こしかけていた。

「だって、僕はさんのこと好きだから」
「…はっ」

これまた、不二は普通の会話のようにサラリと言ってしまった。思わず耳を疑ってしまうその台詞。不二の顔を見れば、いつもと変わらない笑顔。は自分の幻聴なのか、と眉をひそめた。しかし、すぐにその考えも打ち砕かれる。不二はまた同じ言葉を繰り返しに聞かせたからだ。

「ずっと、見てたからすぐわかった」
「…意味、わかんないんですけど」

は本性がバレてしまったのなら隠す必要もなくなったといわんばかりに、怪訝そうな顔つきで不二を見た。さっきの笑顔など当に消えている。はシャーペンを持ち直すと、芯を出す。カチカチと音が鳴って芯が少しずつ出てくるのを無表情で見つめ、は白紙の紙に押し当てた。物差しも当てる。「わからない?こんなに態度で表してるのに」どこが。言いたいのを我慢して、一本の線を引いた。少し歪んでしまっては消しゴムを取り出す。そしてせっかく引いた線を消した。

「僕がどうして部活に行かないかって言うのは、少しでもさんと居たいから。嫌われてるってわかってても、一緒にいたいから。あと、」
「……あと?」

また線を引きながら、適当に不二の言葉に反応を返し。
はもう一本線を引く。不二はそれを見ながら、言葉を並べた。

「今日、何の日か知ってる?」
「バレンタインデーでしょう?」
「あ、知ってたんだね」

知ってますとも。知ってるってわかってたから質問したんだろうが。それともなんですか?そんなに私は物知らずだと思われてるの?不二の問いに、は不機嫌になりながらも、やっぱり口に出すことなく心の中でぼやく。馬鹿にされたみたいで気分が悪くなった。は乱暴に線を引く。すると、やっぱりまた線が歪んでしまった。でも直すのも面倒になってしまって、それをそのままにする。

「そこ、曲がってるよ?」
「わかってる。それより、話の続きはなんですか」
「…あれ、機嫌、悪い?」

最悪ですとも。はそう思うと、敢えて無視して消しゴムを取り出した。そしてやっぱり乱暴に消す。するとまた不二が横から声を出す。皺になるよ、とかそんなこと。は不二に指摘されるのが悔しいのか、それでも無視して消していた。そしたら、また不二は同じ言葉を言っての手首を掴んだ。「早く続き言ってくれませんか」それに不快を感じてギロっと睨む。しかし、そんなことで不二がひるむわけもあるまい。わかった、と呟く。手首を掴まれた手は離さないまま。

「待ってたりしてるんだけど」
「何を?」
「チョコ」
「はっ」

不二の言葉に、は鼻で笑った。
あんなに沢山貰っておいて、まだ欲しいというのか、と馬鹿にして。は不二を見る。

「もしかして、クラスの女子全員からチョコもらえるかとかで賭けてるの?」
「違うよ」

嘲笑うように不二を見たあと、は不二の返事を聞いて、視線を手元に落とした。そこには未だ掴まれたままの手首。

「僕はさんからのチョコが欲しいんだけど?」
「生憎私チョコなんてもの買ってないから無理です」

買っててもあげないけどね。
はていよく追っ払おうと笑った。すると、不二が少し考えるような仕草を見せる。はその表情を見て、勝利したと感じた。何に勝利したのか、意味がわからないが、自分を褒め称えたくなった。しかし、すぐその思いは消えうせる。

「じゃあ、仕方ない」
「えっ?」

掴まれた手首を引っ張られて、は顔を上げた。そして、見えるのは不二のドアップ。それから、口元ギリギリに感じる唇の感触。時が止まった気がした。

「……っ何するの!」
「チョコの代わり。だって、買ってたらくれたんでしょ?」
「誰もあげるなんて言って無い…っ!」

安心して、口にしてないから。とやっぱり笑顔。これが世の中の女をたぶらかす笑顔か。でも、私は騙されない。チョコの代わりにキスするなど、何事だ。は憤慨した。もう我慢なんて関係なくなっている。真っ赤に紅潮させた顔で不二を睨んだ。「だって、言ったでしょ?僕はのこと好きだって」それを無視するほうが悪い。それにわけわからないって言ったから態度で示したまで。そう言って、笑った。そのときの笑顔はいつもみんなに向けてる物腰の柔らかそうな笑顔などではなく。何故か、には悪魔が乗り移ったかのように見えた。そのせいで、いつのまにか「さん」から「」に変わっていることへの文句も、何もかも言えずに終わった。

「ふふっ、ご馳走様」

にこにこと微笑む不二を見つめ。とんでもないヤツを敵に回したのだと、後悔した、そんなバレンタインデー。



ほろ苦い、中学生活の中で忘れがたい思い出になったとがコメントするのは涙の卒業式当日の話。





 ― Fin





あとがき>>黒不二っぽく。本当はナチュラルに白で行きたかったんですけどねぇ…なんせ、ヒロインのほうがこんなひねくれ者になってしまったので。

2005/02/08