「ゲホッコホッ」
「あぁ、大丈夫?」
、ただいま風邪でダウン中です。
おまじない
ケホケホと咳が止まらない。あまりにも咳が続くものだからだんだんと声は掠れるし痛い。それでもあたしが今、ベッドには横たわらず、座っているのはわけがある。そのわけとはベッドの少し離れたところで正座をしている彼氏が原因だ。最愛の彼氏こと、周ちゃんは「、風邪が悪化するから寝てなよ」と優しく言ってくれているけれども、そんなの聞いてる場合じゃない。だって、お客さんが来てるのに寝てるって・・・どうなの?しかも相手は好きな人なわけで・・・そう簡単にハイ寝ます。なんて言えないって!そんな図太い神経しているように周ちゃんには思われてしまっているんだろうか?ぼんやりと思考の働かない頭を動かして周ちゃんを見やれば、あたしのことを心配してくれてるんだろう、いつもはポーカーフェイスのそれが眉根を大いに寄せていた。ちょっとした罪悪感が過ぎるものの、言わないわけには行かない。
「周ちゃん、絶対それ以上近付いたら駄目だからね!」
鼻声で強く言うと、周ちゃんは納得いかないと言った表情をした。・・・やっぱり。と目の前にいる恋人の反応を予想していたあたしは心の中で呟いた。ふて腐れたような表情がどこか放っておけない子どものようで、ちょっとだけあたしの決心を鈍らせる。許してしまいそうになるのだ。多分それが周ちゃんの手なんだろうけれども!あたしは、心を鬼にすると「そんな顔しても駄目!」ときつく言い放った。そうすれば今度は周ちゃんが大きな溜め息をつく。それから聞こえるのは先ほども何度も何度も聞いた台詞だ。
「久しぶり会ったのに、僕はに触れられないの?」
どうしても?ねえ、ねえ?と言いたい風な顔を見て、ぐう、と口を噛み締める。あたしだってあたしだって周ちゃんに触れたくないって言ったら嘘になる。だけど、だからって「良いよ」なんて言ってはいけないのだ。あたしはふて腐れている周ちゃんにだからね?と諭すように言葉を続けた。
「風邪うつっちゃうってば」
「の風邪だったらうつっても良いよ」
・・・・・・・・・・・。さっきからこんな会話の繰り返しだ。優しい笑顔で微笑まれて、その度にときめいてしまう自分が悔しくてたまらない。多分、それを周ちゃんはわかってやってるに違いない。策士なんだ、策士。でもそんなところも好きだなぁと思ってしまう自分の脳味噌は、風邪の所為なのか、それとももう周ちゃんを好きすぎる故なのか。多分両方なんだろうけど。それでも周ちゃんにとって今と言う時期は大切な大切な時なのだ。さらりと返された言葉に反論すべく、痛いノドを酷使するように声を荒げた。
「な、に言ってんの!!周ちゃん、は大会を控えた有望な、レギュラーなんだよ?そんな大事な時期に風邪なんて移させらんない・・・!」
っていうかまあ、今じゃなかったとしてもあたしは周ちゃんにだけは移したくないんだけど。・・・こっちの気持ちもわかってほしいよ。と最後の方は咳混じりで、声は掠れて。思うように出てくれなかった。凄く、酷くもどかしい。早く治れば良いのに・・・そう思うけどなかなかそうもいかないみたいだ。今年の風邪は本当にしつこい。普段のあたしなら絶対引かない自信があったのに、今回の風邪菌は相当強力らしい。普段風邪を引かない所為で、風邪を引いたら長引いてしまう自分の体質も原因なんだろうけど。・・・今日で寝込んで3日はなるだろう。コンコン、コホン、と軽い咳をし終えると、今度は周ちゃんが意見を言う番だ。
「がそう思ってくれるのは嬉しいけど・・・僕だってが苦しんでる姿は見たくないんだよ?」
ないんだよ?と少し首を横に傾ける。周ちゃんのさらさらな髪の毛が少し動いた。あたしはそれを一瞥してから布団に目を落とす。周ちゃんの言いたいことは、わかってる。今あたしが言ったことと同じことを周ちゃんは言っているんだから。だけど・・・だけどだけどだけど!
「それでも駄目!!あたしはだいじょ」
大丈夫だから!と叫ぼうとした。しかしちょっと声のボリュームを上げただけで、喉が切れるように痛ん、あたしはそれ以上続けることが出来なかった。代わりに、無数の咳が止まる事なく出てくる。あーもう本当忌々しい!布団のカバーを強く握り締めて前かがみになる。そうすれば聞こえてくるのは周ちゃんの声。「・・・!」座っていた周ちゃんが立ち上がるのが横目に映った。咳のし過ぎで生理的な涙が零れる。すると周ちゃんが慌ててあたしに駆け寄った。駄目!と言葉にしたかったけど咳が邪魔してうまく言葉に出来ない。そうするうちに周ちゃんの手があたしの背中を優しく摩るのが解った。すると今度は吐き気があたしを襲う。・・・どれほど苦しめれば良いのだろうか、この風邪は!「・・・き、気持ち、わる、い」と涙を流しながら言葉を紡いだ所為だろうか、あたしの尋常じゃない態度に周ちゃんがあたしの顔を覗き込んだ。3日ぶりの間近で見る周ちゃんの顔は険しい。う、とあたしは目をぎゅっと閉じて、手を口に当てる。
「吐きそう?おばさんに言って袋貰ってこようか?」
優しい手つきのそれは今もなお背中をさすってくれる。持つべきものはこういう優しい彼氏なのだろう。そう思ったのもつかの間だ。周ちゃんの口から漏れた台詞にあたしの頭が真っ白になる。・・・い、ま・・・袋って、言った?あたしは周ちゃんの言葉に瞼を開くと彼を見た。いつもと変わらない心地よい笑顔だ。いつもならその笑顔にきゅぅぅん、となってしまうところだけど今はそんなときめいてる場合じゃないわけで。
「い、い!」
周ちゃんの言葉に有りっ丈の嫌だという気持ちを込めて言い返す。けれどもそれは周ちゃんには効果はないようだ。「でも、気持ち悪いんでしょ?」とすぐに返って来た返事に思わずコクンと肯きそうになるけれどもそれじゃあ意味が無い。
「無理しないで・・・。吐いた方が楽になるよ?」
「だ、から・・・って、や、だ・・・っ!!」
あたしは断固として首を振り続けた。周ちゃんが困ったような、けれども心配でたまらないって顔をしてあたしを見ている。そんな顔されても、そんな顔されても!てゆうか悟ってくれても良いんじゃないの?
普通は無理でしょう!好きな人の前で吐くなんて・・・!
きっと周ちゃんのことだから、嘔吐シーンを見てしまってもそんなこと気にせずにその後もあたしのことを変わらずに好きでいてくれると思う。・・・う、自惚れかもしれないけど。でもきっと言うに違いないんだ。それは今までの経験上から断言できるものだ。でもそれでも・・・例えそうだとしてもやっぱり好きな人には自分の吐く姿なんて見て欲しくないものなのだ。ましてや世話をされるなんてたまったものじゃない。
「辛いなら我慢しないで、ね?」
周ちゃんは背中を摩りながら小さい子をまるで宥めるような仕草であたしの髪の毛を耳にかけた。そうすれば周ちゃんの顔が今まで以上に良く見えるようになる。その様子はとても柔らかな笑みで、苦しさのために出た涙を更に引き出す作用があるみたいな感じだ。ね?と微笑む彼氏はきっと世界中で1番優しいとあたしは思う。バカップルだと言われようともそう思うわけだ。だけど、でも。
「あ、たしは周ちゃ、に吐く瞬間見られ、たくない、もん」
ケホケホと咳が止まらない。全くもって忌々しい。それでも何とか言い終えると、周ちゃんの顔を見つめた。そうすれば、一度きょとん、と不思議そうな顔をしたあと、にこっと笑う恋人の姿。
「そんなこと気にしてたの?ふふ、僕は気にしてないのに」
・ ・ ・や っ ぱ り ね !
そうだと思ったよ、そうだと思ったさ!周ちゃんのベタな台詞にあたしは心の中で項垂れて「あたしが気にするの!」と言い返すと、周ちゃんがまた柔らかく笑った。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ?僕はこんなことでを嫌いになったりなんかしないのに」
だからどうしてこうも周ちゃんは・・・!そう考えると、恥ずかしいのと嬉しいのでなんとも複雑な気持ちになった。
「と、とにかくっ!大丈夫だからっっ!」
あまりに大声を出したせいで、あたしはぐらりと激しい頭痛に襲われた。咄嗟に周ちゃんが、あたしを抱き留める。それから呆れたような、安心したような感じの息をつくと、あたしを抱き寄せたまま「無理しないで」と頭を撫でた。周ちゃんの声が頭上から聞こえる。痛んだ頭に心地よく届く周ちゃんのテノールの優しい声。あたしは心地よさに瞳をつぶった。
「って、僕が邪魔してるんだよね?ごめん、今日はもう帰るよ」
どうして周ちゃんが謝るのだろう?あたしだって周ちゃんに会えて嬉しかったのに。思わずそういう思いから「え!」と思いがけないほど大きな声が出てしまった。すると周ちゃんの表情が見る見るうちに明るくなるのがわかる。
「何?帰って欲しくない?添い寝してあげようか?」
・・・どうやら、声をあげたことを周ちゃんは別の意味にとらえたらしい。あたしの顔がだんだんと紅潮していくのがわかる。いや、まあそんなところで声を上げたあたしもあたしなんだろうけれども!じりじりと近づいてくる周ちゃんの顔にドギマギして、あたしは慌てて周ちゃんの口を両手で押さえた。
「な、な、なわけっ、な・・・いで、しょ・・・っ!」
ぐいっと押し返しながら言いやれば、周ちゃんがあたしの手をそっと外した。
「ふふっ、ごめんごめん。からかいすぎちゃったね?ゆっくり休んで」
くすくすと笑う周ちゃん。からかってるってわかるのに、その綺麗な笑みと優しい口調に騙されてしまう。そこがまた悔しい。本当は来てくれて嬉しかった有難う。そう言いたいのに口から出てくるのは「もうっ」って言葉だけ。素直になれないのは性分だけれど、きっとこうしてからかう周ちゃんにも原因はあるに違いない。でもきっと言わなくても周ちゃんにはお見通しのようだ。次の瞬間、ふふ、っと周ちゃんが笑ったのがわかった。
「じゃあ早く元気になって学校に来てね」
言われて周ちゃんのほうに顔をやれば周ちゃんがあたしの前髪に手をやって前髪を半分に分けると、額が露わになった。・・・と思ったらすぐに周ちゃんの顔のドアップ。次の瞬間、おでこに何かが触れた。・・・何か、なんていうまでもないんだけれども。
「な、なっ・・・!?」
「風邪に良く効くおまじない」
「なんて、ね」そういうや否や、周ちゃんは、あたしからの攻撃を逃げるようにすっとベッドから離れた。あたしは近くにあった枕をひっつかんで「周ちゃん!」と声を上げると、周ちゃんが「あれ?もう効いてきたのかな?」なんて可笑しそうに言ったので、あたしは恥ずかしくなって枕を周ちゃんに向かって投げた。けれどもそれは周ちゃんの手にすっぽりと収まる形になって。見事キャッチした周ちゃんはそれを優しくあたしのほうに投げ返すと「じゃあね」と言いながらパタンとドアを閉めて帰ってしまった。
「な、にがおまじない、よ・・・!」
そして周ちゃんが帰ってしまったあたしはというと、その出来事に全身の血が頭にのぼって熱が余計にぶり返したような気がした。「絶対風邪が治らないんじゃないか!」そうぶつぶつと布団の中で言っていたのだけれども、次の日、熱はすっかり下がっていて学校に行くことができるなんて、今のあたしなんかが知る由もない。
・・・周ちゃんのおまじないが効いたのかは定かではないけれども・・・。
― Fin
あとがき>>ご要望があって復活することになった「おまじない」でも前よりも随分変わってる感じが、する。それは前の文章を見るに耐えなかったためです(笑)前の文章見た人は全然違うことがわかるかもしれない(笑)このネタは楠木が風邪を引いたときに思ったことです。しゅうすけがいたらそれだけで元気になるさ(遠い目)
2004/09/30→2007/04/16(書き直し日)