顔が良くて、頭も良くて、運動も出来て、テニスなんてプロ並で、おまけに性格も人当たりが良い。率先してクラスを盛り上げる人物ではないけれど、彼の周りには沢山の人がいつの間にか集まる。男の子、女の子、性別問わず、皆彼の事を好きだった。そんな彼に憧れを抱く人は少なくない。私もその一人だった。

「僕、さんが好きです」

生まれて初めて、告白された。



ただただ、君想フ




何もかも完璧な人って、いるんだなぁって、この学校に入ってそして彼に出会ってから、初めて思った。
普通、人間には長所と短所二つがあるものなのに、彼にはおおよその皆が思う"欠点"というものが無かった。おうちはお金持ちで、どこか気品溢れているし、仕草なんかもスマートで優雅だ。そんな人に、私はなりたいと思っていた。
どこか、他の人とは違う。そんな雰囲気の彼。だからと言ってとっつきにくいわけでもない。彼の周りにはいつも笑顔で溢れている。それは彼がいつも穏やかな笑顔を浮かべているからだろうか。そんな人だからこそ、恋情だったりいろいろ忙しない。ファンクラブなんてものまで出来ている。けれども、そんな完璧な彼だけれど、それを鼻にかける様子も無い。
本当に、本当に凄いと純粋に思っていた。
どこか、空の上の人のような…。彼の事を『王子様』と例えている女の子がいたけれど、確かにその通りだと思う。まるで、絵本の中の王子様。そんな『王子様』の隣に立てる女の子はきっと彼のような完璧な…『お姫様』のような人だと思っていた。





「好きです」

まさか。そんな。
その二言が私の脳裏を過ぎった。掴まれた腕が、熱い。初夏の所為だとか、そういうのじゃない。彼に触れられたところだけが、まるで自分の身体じゃないみたいに反応しているのがわかった。まるで、腕に心臓があるみたいだ。一つの生き物みたいに脈打っているような、そんな気さえしてしまう。握っている彼の掌は逃げられないような強さで私を束縛していないのに、抗えない。耳元で聞こえてきた私を呼ぶ声に、ようやく私は我に返った。顔が、熱い。耳が熱い。…全身が、沸騰しそうなほどに…、熱い。

「あ、の」

もしかしたらこの心臓の音が彼に聞こえてしまっているんじゃないか。そう思う。
真っ赤であろう自分の顔をゆっくりと振り向かせれば、彼の真剣な表情。だけれど、一つだけ、ほんの少しの変化。頬が、私と同じように(けれども彼の場合はほんの少しだけれど)紅かった。「さん?」名前を呼ばれるだけで、ドキドキが止まらなくなって、どうにかなってしまいそうだ。触れる掌は今の季節とは反対に冷たくて心地よいのに、私の心は落ち着かない。目がかち合っただけで、―――囚われる。

「ふ、じ君、あの…」

ずっと憧れていた不二君からの告白。嬉しくないと言ったらそれは嘘だ。嬉しくて嬉しくて本当なら泣きたいほど嬉しい。だけど、直ぐに返事を出せないのは、自分に自信が無いからだ。周りから「王子様」と言われている彼の隣に並ぶ綺麗な「お姫様」には自分はなれない。堂々と歩けるほどの度量もなければ、勇気も無い。全てにおいて平均並みの自分には分不相応すぎる彼。それが、私の返事を濁らせる。きっと今、私は酷い顔をしているに違いない。出てこなくちゃいけない言葉は出てこない。
静まり返った廊下が、酷く淋しく物悲しい気持ちにさせた。

さん…っ!?」

気が付けば、泣いていた。いっぱいいっぱになってしまったんだと思う。驚いた様子の不二君の顔が私の視界に映った。そんな姿でさえ絵になりそうで。更に思う。ああ、私には彼の隣にふさわしくないって。振り出す勇気は、無い。不二君の告白を信じてないわけじゃないけれど、だって。解らないのだ。何故、彼が私を好いてくれるのか。同じクラスになって早数ヶ月。でもそんなに親しい間柄では勿論無い。喋った事なんて五本指で足りてしまうくらいだと思う。そんな彼が、何故。
取り柄らしい取り柄は一つも無い。皆を引っ張っていけるようなリーダーシップも無ければ、勉強が出来るわけでもない。運動だっていつも最後から数えた方が早いし性格だって皆が褒めちぎるほどの人間じゃない。本当に、そうy考えると、―――何も、無いんだ。私には。

「っ…ごめんなさいっ」

駆け出した。掴まれた手を振り切って、不二君の制止も聞かずに、走り出した。誰もいなくなった廊下を、走る、走る、走る。
ただ、恥ずかしかった。ただ、情けなかった。悔しさも、あったかもしれない。あんなに皆から有望視されている彼と、その他大勢の私。どう考えても可笑しいって。辛かった。彼の告白が、嬉しい反面、苦しかった。
溢れ出る涙は走っている所為で、目じりを通って横に流れていく。とにかく誰もいない場所に行きたかった。頭の中がぐちゃぐちゃになっていて。

「っ、はぁっ…」
「待って、って!」
「きゃあっ!」

声と共に引っ張られる腕。先ほどとは違う、力強いそれに、私は体がのけぞった。そのまま倒れこむ。熱い、熱い、熱い。揃って廊下に倒れこんで、走って逃げる事は叶わなかった。そのまま彼の腕が私を抱きしめる。「何で逃げるの」さっきよりももっともっと近い場所でいつもよりも少しだけ低めの声が聞こえてきて、私の心臓は高鳴った。髪に触れた吐息に、くらくらする。体勢をそのままに、不二君が私の顔を覗き込んでくるのが解った。近い、距離。今にも触れてしまいそうな程、の。

「だ、…って」

見つめられている事が、こんなに恥ずかしいなんて思わなかった。コバルトブルーの瞳が、私の姿を映していて。その目に映る私は不安げな表情で、私は思わず俯いてしまった。不二君の視界から逃れたいのに、逃げられない。体の熱はどんどん急上昇していく。

さん、さっきの『ゴメン』は僕の気持ちに応えられないの『ゴメン』?」

言葉に詰まってしまった私に、不二君は待ちきれないといった風に言葉を綴った。違う。そういえたら良いのに。喉がからからに渇いてもはや言葉に出来ない。フルフル、と首を振ると不二君は「じゃあ、何で?」と更に問いかけてきた。でも、答えを私は持ってない。どういえば良いのか、何が正解で何が不正解なのか。わからない。

「だ、って」

小さな私の声を、不二君は懸命に拾ってくれている。「ん?」と優しげな声がかかって、涙が出そうになる。だって、なんて言えば良いの。

「だって、なんで…私、なの」

小さく呟いた言葉の後、訪れるのは静寂。名の通り、寂しさが其処にあって、私は自分の質問がしてはいけないものだったのだと悟る。はっとなって、取り消そうと顔をあげた瞬間、目に映ったのは、困った顔の不二君で。ぽりぽり、と人差し指で頬をかいている仕草に、ああそんな仕草するんだ。なんて場に不釣合いな事を考えていた。

「難しい質問、だね。……でも、そうだね。強いて言うなら、『思いやりがあるところ』そして、何より何においても『一生懸命なところ』かな。見えないところで、頑張ってる君を、支えたいって思ったんだ」

そう言った不二君は、私が今までに見たどの不二君の笑顔よりも一層綺麗で、そして男らしかった。

「でもそんなの"好き"の中のほんのちょっとの部分で、…理屈なんか無いって僕は思うよ。ただ、君を好き。…それじゃ、駄目なの?」

問いかけられた質問に、私はやっぱり答える事なんて出来なかった。涙の痕を不二君の白い指先が優しく拭う。瞬間的に瞳を瞑ると、額に触れる…不二君の唇。呆気に取られてしまって、私はただただ顔を紅くするしか出来ない。

「僕が聞きたいのは、『イエス』か『ノー』のどちらか。『好き』か、『嫌い』かだけなんだけど」
「…」
「周りの目とか、そんなのどうでも良くて、さん自身の、君の気持ちが聞きたいよ」

窓から拭きぬける風が不二君の髪の毛を優しく包み込む。ふわりと舞う、茶色の毛先。ストレートの柔らかな髪が私の頬を撫でる。不二君の言葉をゆっくりと嚥下するように脳味噌で理解をする。好きか嫌いか、イエスかノーか。全部を取っ払って考えれば一つしかない。

「っ…き」

涙が、溢れた。不二君の首に腕を回しで抱きつくと、不二君の掌が優しく私の背を撫でる。ポンポン、とまるで赤ちゃんをあやすような仕草は、どこか安心感がある。

「好き、です。不二君の、事」

不二君の襟をぎゅっと握って、もう一度声を絞り出せば、目には見えないけど、不二君が笑っているような気がした。
諦めるなんて、初めから無理だった。初めて会ったその瞬間から、私は囚われていたんだから。





― Fin





2008/07/22