「ほんまおおきに!来月は楽しみにしといてな?」
そういわれたのは、先月の14日。つまりはバレンタインデーの日だ。眼鏡オタクだと知ったあの日、普通のチョコレートしか用意できなかった私だけれど、それでも侑士は喜んで受け取ってくれた。
「の作ってくれたもんなら何でも美味しいわ」言いながらパリッパリと笑顔でチョコを食べてくれた後に言われた台詞。
あの時の笑顔が、まさかそういう意味だったなんて思いも知らず。
……そして、今日は待ちに待っ…てもいないけれども、ホワイトデー。
バレンタインデーのお返しに、男の子が女の子に気持ちを返してくれる日。
丸眼鏡の笑顔にはご注意を
「休憩ーーーー!!」
そう言ったのは、新しく男子テニス部の部長になった、日吉だった。彼の指揮にそって、各々が給水をしにコートから出て行く。各担当のマネージャー達がせっせとドリンクを渡しているのを遠くのほうで見ていた私は、思わず笑顔になった。
つい、半年前まではあそこにいたのだ。…と言っても週1には特訓と称してテニス部に遊びに来ていたから懐かしいとまでは思わないし、時には後輩マネージャーと一緒になってドリンクを配ったりもしていたので今でも在学生気分なわけだ。
今日も元三年生レギュラー達のコーチ日だったので、同じようにマネージャー業をお手伝いしようと思った。…のだが、今日の朝に「もう先輩は卒業したんですし、見ている側に徹してください!」と指示されてしまったため、こうして手持ち無沙汰になっているというわけだ。…そういえば、私達は今月の頭にこの氷帝学園中等部を卒業したんだっけ?と、どこか他人事のように思う。(だってまだ、高校に上がったわけじゃないから全然実感が沸かない)
元部長である跡部や他の元レギュラー陣があっちーなどと言いながらドリンクを飲む姿を見ていると、卒業したのかな?とか思っちゃうんだけど。でも、もうあのコートの中には私の居場所は無い気がして、ちょっとだけ切なくなった。
遠く離れたベンチで「あーあ」と、気の抜けた声が漏れる。
すると、ぽん、と肩を叩かれる感触がして―――顔を上げた。
其処にいたのは。
「侑士」
私の彼氏、忍足侑士、だった。侑士はそんな私に「よ」と短い言葉を発すると、私の隣に腰掛けた。先ほどまで試合をしていたせいか、暑いんだろう。タオルで拭き取った後はあるものの、顔が蒸気している。
肩にかけられたタオルに目をやれば、突然私の視界に入ってくる、侑士。「どないした?」と顔を覗き込まれて、長い付き合いはあるものの、いまだにその端麗な顔にはドキドキさせられてしまう。でも、それでも免疫がついているため、暫くすれば慣れるもので、次に「なんでもない」と答えるときには冷静を取り戻していた。
すると侑士が「ふうん」とどうでも良さそうに呟くのが聞こえた。
フェンスの中では楽しそうにはしゃぐ1,2年生達がいて。それなりに近くにいるはずなのに、まるで私達の間だけが別空間のような錯覚になる。
喋ることがなくなってしまって、沈黙になる―――。
かと思い気や、「そうやった」―――と、その沈黙を侑士の声が壊した。私は何が「そうだった」?と心の中で思うと侑士を見つめる。侑士は一度ぽん、と手を叩くと、「ちょい待っとり?」と私の頭をぽんぽんと軽く叩くとベンチから立ち上がって行ってしまった。…うん、の一言さえも言わさぬ男、忍足侑士。私は撫でられたのか叩かれたのか(多分その中間)わからない頭を一撫ですると、大人しく侑士を待つことにした。
侑士が帰ってきたのは、それから数分も経ってないうちだ。「悪いなぁ」って言いながら駆け寄ってきた侑士に、ううん、と首を振ると、侑士がふっと笑った。…いつ見ても思うが、一つ一つの表情がどこか色っぽい。トクッと高鳴る胸に気づかぬ振りをして、また私の隣に座った侑士を見つめると、侑士が私の前髪をくしゃ、と撫でた。
「ほい、これ」
「え?」
「バレンタインデーのお返し」
言われて私の膝に置かれたのは、小さめの長方形の包み。シンプルな包みはさすが侑士!と言うべきか、とてもセンスが良い。ありがとう、と嬉しさを隠し切れずに侑士が置いてくれたプレゼントを胸に抱きしめてにこっと笑えば、侑士も嬉しそうに笑い返してくれた。
ああ、なんか良いな。こういうの。ほのぼのとした癒しの場所。やっぱり私は侑士が大好きなんだ。と実感させられる。もう一度包みに視線を移せば、侑士が「開けてみ?」と促した。それに対して、「良いの?」と問い返せば、侑士がコクリと肯く。
それを確認して、私は綺麗にかけられたリボンを、引っ張った。しゅるり、と小さな音を立てて、リボンが解かれていく様を見つめて、丁寧に破れないように包みを剥がす。いつもはこんなに几帳面じゃないくせに、今は誰よりも几帳面みたいだ。それだけ大切だってことなんだけど。
ドキドキがどんどん早くなる。早く見たい!って気持ちが手に表れる。綺麗に包みを剥がし終えると、白い箱が姿を現す。長方形の箱。…もしかして、…前に私が欲しいって言ってた…。と、箱を見た瞬間思い出すのは、露天で見つけた可愛いアクセサリーだった。あの時欲しかったのだけれど、予算オーバーで買えなかったそれ。侑士ってば「はよ行こうか」って言いながら後でこっそり買ってくれたんだろうか?と、期待に胸が弾むのがわかった。
コクン、と唾を飲み込んだら喉が鳴るのがわかる。
ドキドキは最高潮。期待に胸が躍って踊って踊り狂いそうだ。緊張しすぎて手が震えるなんて、初めての経験。
ドキドキドキ。と煩く鳴り響く胸の音を鼓膜の裏で感じながら、白い箱の蓋を開けた。
あれ…?
でも、次の瞬間、私の心臓の音はパタリと鳴り止んだ。さっきのドキドキはなんだったんだろう?と思うくらい今では正常になってしまった心音。そして、期待に胸膨らんでいたそれは一気にしぼんでしまった。
これは、露天で見つけた入れ物、ではない。
箱の中には、藍色の楕円のケースが鎮座していた。…見覚えがある。いや、そんな言葉じゃ余りにも余所余所しい。毎回見ている、と言っても過言ではないそれ。
もしかして…と先ほどの期待とは打って変わっていや〜な予感がむんむんと頭の中に膨らんでいく。それでもええい!女は度胸!と潔くそれを開ければ。
―――やっぱり、ね。
もう、乾いた笑みしか出てこない。楕円のケースに入っていたのは、私の予想通りの品、だったわけだ。真新しいそれは、太陽の日を浴びてキラリとムダに光ってその存在を猛烈にアピールしている。
それを見ていると、どうしてだろう。無性に泣きたくなった。侑士の好みはバレンタインのアレで全てわかった気でいたけれど、まさか何もこんな日にそれを実行しなくても…。
開かれたケースの中で一つ輝いていたのは、―――まあるいまあるい眼鏡、だった。どこかそれは侑士のかけている伊達眼鏡に似ている。
…これは、突っ込むべきなんだろうか?
関西出身の彼のことだから、新手のボケのつもりなのかもしれないと思うものの、頭の隅では「いや、バレンタインのこともあるし、侑士は本気だ」と冷静に考えている部分もある。もし、本気だったら?…突っ込むなんてあまりにも酷だと思う。
でも、だからってどう言葉にすればいいかわからなくて。お世辞にも「わあ、嬉しい」なんてハートをつけた台詞、言える自信もない。ましてや「実は私も欲しかったの」なんて嘘は死んでも言えない。
結局私の口から着いて出たのは
「これ、は?」
と言う、気の抜けた台詞だけだった。…もっと気が利かせられないのか、自分。黙って鎮座している眼鏡がキラキラキラと輝き続けているのが妙に癪に障るのは何故だろうか。…眼鏡に罪は無いはずなのに、今此処で叩ききってしまいたい衝動に駆られるのは何故なんだろうか。
きっと、自分のしてはならない期待をしてしまったからに違いない。そうだ、そうに違いない。頭の中で冷静さを取り戻そうとするけれど、余りにもショックが大きすぎた。…大体、眼鏡ケースとアクセサリーケースなんて全然太さが違うって言うのに、なんで…!(其処がめちゃくちゃ悔しい)
私の問いかけに、黙ってにこにこと笑っていた侑士がきょとん顔をした。それから、さも当たり前のように、「に似合いそうやと思って」と嬉しそうにそして何故か顔を赤く染めて答える彼氏の姿。
「それなあ、俺とおそろやねん。勿論、のそれも福井県産や!」
「……」
キラキラと輝いたのは私の膝の上にある眼鏡だけではなかった。侑士の眼鏡は私の持っている眼鏡よりも数段輝かしく目に映った。キラーンとまるで効果音が着きそうなくらい光にあたって輝くそれを見つめて、心の中で思う。
…わざわざ福井まで注文したんか!
隣で「がかけたらかわええんやろうな〜どんなやろうな〜」等と一人別の世界へ旅立ってしまった恋人を見つめて、どこか冷静になった。
「この眼鏡はな」と続く眼鏡談を横耳で聞いていると、まるでバレンタインのあの日に返ったみたいな感覚になる。あの時同様に今の侑士は少年のような瞳をしている。…眩しい。―――それは、眼鏡が、なのか、忍足侑士自身が、なのか…もう私にはわからなかった。
ただ、今の私は隣でぺらぺらと喋り始めた侑士の聞き役に回るだけ。
侑士の論弁が終わったのは、それから10分後の休憩の終わり時。指導に戻ろうとする侑士を見送ろうと、手をひらひら振った。
すると、くるりと侑士が振り返り、「一つだけお願いがあるんや」とどこか真剣みを帯びた表情で紡がれた願い事。
「その眼鏡かけて『頑張ってね』って応援してくれへん?」
…………。
待ちに待ってはいなかったけれど、それなりに楽しみにしていたホワイトデー。
そんな日に貴方がくれたのは、愛情タップリの―――伊達眼鏡でした。
何もこんな日に願ってもいないのにそんなものをくれるなんてと肩をガクリと落してしまったものの、それでも眼鏡をかけて「頑張って!」と言う私に「似合うな」と笑いかけてくれる貴方を、結局怒れない私は、完璧に忍足侑士オタクなのだろう。
早咲きの桜の花びらが私達の前をひらり、と過ぎ去った。
―Fin
あとがき>>…お姉ちゃんは忍足を何だと思ってるの?と妹に問われてしまった。 お姉ちゃんはね、侑士のこと、眼鏡フェチだと思ってるよ(笑) …忍足ファンの方、重ね重ねすみません。ごめんなさい。申し訳ありません。
2007/03/14