MOI et TOI
『幼馴染』って言う言い訳
あたしと彼佐藤寿也は、俗に言う『幼馴染』と言う関係だった。出会いは、6歳の頃。河川敷で一人で野球(壁投げ)をしていた寿ちゃんを見かけたのが切欠。その頃のあたしといえば、年の離れた兄の影響なのか結構男勝りで(妹はそうでもないのに)『一人で野球なんてつまんないじゃん』って声をかけてキャッチボールしたのが初コンタクト。妙に寿ちゃんとの相性が良くて、じゃあ明日も此処で。なんて軽い約束をして、次の日もキャッチボールをした。それがまた昨日よりも面白くって、じゃあ明日も、その次の日になればまた明日…っていう風に、どんどん仲良くなっていった。良く聞けば学校も一緒だって言う事を知って更に仲良くなった。(クラスが一緒になる事はなかったけれども)
あの頃の寿ちゃんの印象といえば、かなりのがり勉君でどちらかと言えばインドア派で野球なんて泥臭いスポーツ好きじゃありませんって感じの見た目だった。それが急に変わりだしたのはいつだったか。
いつの頃からか眼鏡をやめてコンタクトになっていた。そしてこれも才能と努力の成果だろう。趣味だった野球が出会った頃とは比べ物にならないくらい上達して、めきめきと成長していった。9歳になった頃には、横浜リトルなんて野球チームに入団しちゃってた。
あたしはといえば、野球自体は好きだけれども、それはあくまで趣味の範囲内となっていて、そしてこれがまたあまり詳しくも無かったので(名称とかちんぷんかんぷん)どちらかと言えば、寿ちゃんのプレイを応援する側になっていた。でもだからってあたしと寿ちゃんの関係が無くなるとかそう言った事はなく、寧ろプレイヤーと観客と言った違いはあるものの、目指すべき場所は一緒だったから、やっぱりずっとこの関係は変わらず進んでいた。
『甲子園に行く』を目標に、頑張ってきていた。
その幼い頃交わした目標と約束は、何一つ変わることないと思っていた。
2009/01/02