*AOI BENCH02

 
 
 
大学を卒業した年、が東京に戻って就職をしている事を人づてに聞いた。逢いたいと衝動的に思った。
自分の携帯の中には、のメールアドレスも電話番号も消すことができず、そこに存在していた。変わっていなければ、ボタン一つ押せばと繋がる事が出来る。けれども、それを押す勇気は当時の僕には持っていなかった。
 
だって、連絡を取って、どうすると言うのだ。逢いたいと、今でも好きだと伝える?それでは、を困らせるだけなのでは。不二の心の中で葛藤が生まれるも、本音は違うと薄々気づいていた。違う。消せないアドレスに連絡したところで、宛先不明で帰ってくるのが怖いだけだ。大事に取っている携帯の番号に発信した時、すでに使われていない事実を目の当たりにする勇気が無いのだ。
そして、万が一繋がった場合、迷惑だと、今さら言われても無理だとの口からはっきりとした拒絶の言葉を耳にする度胸が不二にはないだけだった。
 
そう、燻っていた間の数カ月の後、「彼氏ができたらしい」とまた人づてに聞いた。そこで不二はようやく気付いた。はすでに動き出している事に。不二と言う人物は彼女の中では"過去の恋人"として処理されてしまった事に、今更なから気付いた。
 
僕だけが、変わらない。彼女への想いも、もしかしたらかかってくるかもしれないと期待して変える事の無いアドレスも。
の消す事の出来なかったアドレスを見る度、人づてに彼女の事を聞く度に、への想いは風化するどころか、日に日に強くなっていくのに気付いて、今更ながらに不二は手離したものの大きさに気付いたのだ。それでも、新しい恋人と笑顔で過ごしているであろうの事を想うと、行動なんてうつせなかった。それでも、やはりのメールアドレスや電話番号を消すことは不二には出来なかった。もう、へは繋がらないとはわかっていつつも、それが不二とを繋ぐ唯一の繋がりだったからだ。
 
 
 
春夏秋冬、何度となく季節は巡り、時は過ぎ、後一か月弱もすれば28になる、と言った頃、久しぶりに休みのあった旧友――菊丸英二と不二は会っていた。お互いお酒も良い感じで進み、ぽろりとこぼしてしまったのは、珍しく酔っていた所為だ。
――まだ、好きなんだ。と自嘲気味に微笑んだ不二の顔を菊丸の大きな双眸が捉えた。
 
「マジ?」
「女々しいよね?」
 
カラン、と水割りの氷がぶつかる音がして、不二がふふっと苦笑する。もう、別れて何年経つと言うのだ。不二が皮肉げに笑い、グラスの中の酒を煽る。氷が溶け始めていた所為か、少しだけ水っぽくなってしまったそれを、ぐいっと呑みほした。
ぺろりと舌舐めずりをして、バーテンダーに「さっきの」と追加注文をする不二に「呑み過ぎじゃない?」と窘めたが、不二はただただ微笑むだけでキャンセルすることはなかった。届いたお酒を間髪開けずに流し込む。
 
「……ほんと、女々しい…にはもうの人生があるって言うのに」
「不二…」
「それでも、やっぱり…忘れられないんだ。諦められないんだ。…好きなんだ」
 
いつもより饒舌に自分の本音を伝える親友に、菊丸はどう言葉をかければ良いかわからなかった。昔から、不二はなんでもそつなくこなすイメージがあった。天才と言われるにふさわしい人物。そんな彼と親友だと、菊丸自身思っていたが、こうして弱音をぶちまけてくれるとは思っていなかった。いつも頼るのは自分の方で、そんな自分にカツを入れてくれるのが不二だった。そういうスタンスだったのだ。彼らの友情は。同い年で、誕生日的には自分の方が年上の筈なのに、どこか兄のような存在。どこか同級生とは違い大人びていて、自分とは違ってこういう悩みなんて無縁だと、菊丸は今の今まで思っていた。なんでもスマートにこなしいつも余裕綽々、そんなイメージがあったのに。それなのに、今目の前にいるのは自分と変わらない悩みを持つ同級生で。
 
「そんな好きなら、に言っちゃえよ」
「言えるわけないでしょ」
 
カランカランとグラスをもてあそびながら、不二は抑揚のない声で答えた。
今更、連絡なんて出来るわけない。の辛さをわかってあげられなかった自分に、彼女を苦しめる事しか出来なかった自分に、一体今更何を言えと。それにもうアドレスも番号も変わっちゃってるよ。
諦めに似た声が菊丸に届き、菊丸は――ー
 
ドンッ
 
持っていたカクテルグラスをテーブルに強く打ちつけた。中身の少し入ったそれがぐわんぐわんと揺れ、中から液体がテーブルを汚したが彼は気にせず声を荒げた。
 
「好きなんだろ!諦めらんないほど、すんげー好きなんだろ!」
「そう、だけど」
「なのに、何だよ!不二の今の言葉っ!結局諦めてんじゃんよ!好きなら、もっかいぶつかれよ!」
 
ちょっと声が大きいよ。と不二が諭したが、そんなの関係ないと言わんばかりに彼の声は抑制されることはなく続けられた。
 
「何がを苦しめるしか出来ないだよ!そんなん過去の不二じゃん!そうならないように今度は努力しようって、そう思うのが、諦めないことじゃないのかよっ」
 
顔を真っ赤にして(お酒のせいだけではないだろう)菊丸は最後まで言い放つと、落ち着かせるように深呼吸を一度し、「……そんくらい本気になれる恋なら、諦めんなって」小さく、零した。
不二に負けは似合わないのだと。自分の親友はいつも余裕綽々で、笑顔が一番似合うのだと。酒が入っていなければ言えないような事を独り言のように呟いた。
そこで、ようやく励まされたのだと不二は気付いた。ぶうぶうと不貞腐れたように口を尖らせる菊丸の横顔に、ようやく笑みがこぼれた。
 
「……有難う、英二」
「……ん。……で、結論は?」
 
いつもの自信に満ちた笑顔が菊丸の目に映ると、形の良い唇がゆっくりと動いた。「決心がついたよ」前向きな台詞ににんまりと菊丸が笑む。
 
「そか」
「……でもまずは連絡手段、だよね」
「ううーん………あ!ならさっ、俺に良い考えがあるよん!」
 
まるで、悪戯を思いついた少年のように目をキラキラさせた菊丸のとびっきりの笑顔が不二の目に飛び込んだ。
 
 
 
 
 
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