一粒チョコレイト




朝のHRで、担任はやっぱりバレンタインの話をした。うちの学校は飲食禁止(部活動とかでの水分補給は除く)だ。今回のバレンタインも例外ではない。学校に不必要なものは持ってこない事!それが規律であり絶対ルールだ。朝、抜き打ちでチェックさせられるかと思われたけれど時間がなかったのでそれは省かれた。ひとまず先生にバレることはなかった事に安堵して、あたしは一時間目の授業の用意を開始する。
その小休憩の間にも、寿ちゃんは色んな女の子からチョコを貰ってた(中には本命っぽい感じの、もだ)
そういえば今日、寿ちゃんに挨拶してないなぁ。ぼんやりと思って、ひとつため息。





慌ただしいのは朝だけではなかった。昼休憩、いつものようにとご飯を食べて他愛もない話の最中なんとなしに寿ちゃんの席を見たら、寿ちゃんの姿が見えなかった。もしかしたら部活仲間の倉本君のところかもしれない。そう思ったけど、…その予想よりも違う予感がムンムンするのは今日がバレンタインだから、だろう。今頃寿ちゃんはまた女の子と一緒にいるのかな。チクン、チクン。胸が痛くなる。この気持ちが嫉妬だと気付いたのはいつのころだろう。ヤダな。そう思ってしまう自分がすごく醜くて嫌になる。ぎゅ、っとお箸を持つ手に力を込めると「箸折れちゃうよ」とに注意された。

「そんなに気になるんなら、探しに行ったら?」
「…なんのこと?」
「とぼけたって駄目。佐藤君だよ。さっきからずっと佐藤君の机ばっかり見てる」

気付かないわけないでしょ?の女性特有の柔らかな声に苦笑して、あたしは箸を置いた。行けるわけない、よ。紡いだ言葉は周りの煩さに掻き消されたかもしれない。目の前に座って同じくお弁当を食べていたがため息をつくのがわかった。

「チョコ、用意したんでしょ?」
「した、けど」
「だったら、」
「でも…やっぱり、渡せないよ」
「なぜ?」

なぜ?問いかけられて彼女の顔を見れば、理解できないと言う表情だ。…なぜ。その答えを思い返す。朝の出来事がすぐに呼び起される。「だって」声が、震えるのがわかった。それでも、その震えは簡単に止められることが出来なくって、一度ごくりと唾を飲み込んだけど、やっぱり再度開いた口は震えていた。

「…他の子達の本気を、思い知らされたら…無理、だもん」
「……」
「…あたしは、寿ちゃんの幼馴染で、でもそれ以上でもそれ以下でもない。だから、無理、だよ」

幼馴染を抜け出したいと思っているくせに、誰よりもその殻から抜け出すのが怖いなんて、情けない。でも、今の関係が心地よくて、でも一度本気で『好き』って言ってしまったら、すべて失っちゃいそうな気がして、怖い。昨日の夜一生懸命作った不出来なチョコレート。きっと寿ちゃんは受け取ってくれるだろう。でもそれが本気だと知ってしまったら、笑顔で受け取ってくれないかもしれない。
幼馴染から抜け出すには変化させることが大事なのはわかってる。でも、その結果0になってしまったら、あたしはどうすれば良いんだろう。幼馴染にも戻れなくなったら、更に寿ちゃんは遠い存在になっちゃう。

「ふうん。しょせん、の気持ちはそんなもんなんだ」

グサリと、胸にナイフを刺された感じ。痛いセリフにあたしは違うと抗議したかったけど、でも言えないって事はその程度って事になるのかもしれない。思い返したら反論する事は出来なくてあたしは黙りこんだ。ぎゅっと下唇をかみしめる。「それって、逃げじゃない?」なんではあたしの隠した気持ちをなんでも当てちゃうんだろう。黙りこんでしまうと、がまた息を吐くのがわかった。

「ねえ。アンタ今まで佐藤君の何を見てきたの?」
「え」
「彼がの本気を知って、それで急に距離を置いちゃう奴だと思う?もしそういう奴なら、柏木さんが告白した時、もう口も聞かなかったと思うけど」
「……」
は、自分の好きな人がの気持ち知っちゃったら無視するような最低な男だと思ってるんだ?」
「ち、ちが!」
「わないでしょ。チョコ渡せないってことは、そう思ってるって事だよ」

間髪いれずのの言葉は、今日一番痛い言葉だった。心の中で想っていた事を一つの間違いもなくいい当てられてしまった。また、だんまりしてしまうとがあたしの手を優しく包む。はっと顔をあげるとふわりと小さく笑んで。「アンタは男見る目、あるよ?」だから、ファイト!ぎゅっと握られた掌から、まるで勇気を送りこまれたみたいだ。きつく唇を結っていたけれど、その言葉にあたしは立ち上がる。ガタン!椅子がはじかれたような音を立てたけど気にしてられない。

「行ってくるね!」

返事を待たずに飛び出した。もちろん、カバンをひっつかんで。「いってらっしゃーい」ドアをすり抜ける瞬間、彼女の声が聞こえたような気がした。



★★★



どこに、いるんだろう。廊下を走ると怒られるのはわかっていたけれど、でも急がなくっちゃ休憩が終わってしまう。先生に出会わない事を祈りながらとにかく走った。学生カバンを持ちながら廊下を走る、なんて明らかにチョコレート隠してますって言いふらしてるようなものだけれど、でもしょうがない。落とさないように、腕で隠すようにカバンを抱きしめて、走る。寿ちゃんが行きそうなところ。とりあえず思いついたのは倉本君のクラスだ。ガラッとドアを開けると倉本君の席を見る。そこでご飯を食べてる倉本君を発見して、ひとつ大きく息を吸って、「倉本君っ」聞こえるように叫んだ。するとご飯を食べていた倉本君の手が止まり、あたしを見つけてやってくる。ドア付近までやってきた倉本君が「どうした?」と首を傾げてあたしを見下ろした。「と、しちゃん、見てない?」問いかけると、目の前の彼はちょっと予想してたのか、くしゃりと笑った。その顔は、苦笑「あー見てないわ」ごめん、と言った風に片手を顔の前にやった。

「そ、か」
「悪いな」
「ううん」

倉本君が悪いわけじゃない。ふるふると頭を振ると、ああ、でも。って倉本君が言葉を発した。え?って見上げる。背の高い倉本君を見上げると、倉本君は右手をあごに当てて考えるポーズ。「絶対ってわけじゃねーけど…」

「もしかしたら、部室かも」
「え?」
「なんか、予定表がなんとか…って言ってた気がする」

その言葉を聞いて、あたしは駈けだした。倉本君が「え、ちょ!?」って言ったのが聞こえなかったわけじゃないけど、でも倉本君の言葉を信じてみようと思う。「ありがとう!行ってみる!」と一度倉本君の方を振り返ってあたしは走り出した。休憩終了まであとちょっと。急がなくちゃ。いるか保証はない。だけど、全く別のところを探したって見つからないかもしれないなら、同じ見つからないならこっちに賭けよう。そうしてあたしは野球部部室まで全力疾走をした。



乱れた息を整えて、目の前に見えるのは「野球部」とプレートに書かれた部室。ふう、と深呼吸をして、開いたらビンゴ。開かなかったら別のところを探そう。もう一度深呼吸。それから静かにドアノブに手を当て、まわした。―――ガチャ、ガチャ。音はすれども、開くことはなかった。…どうやら、はずれだったらしい。
もう一回まわしてみたけれど、開く気配はなかった。別のところを探そう。そう思ってドアノブから手を離した。すると、微かに聞こえた話し声。
気になって声のした方に近づくとその声は二種類のものだと言う事がわかった。会話の内容は聞こえないけれど、でも、男女の声だ。そこまでわかって、一体なんだ?なんて、愚問。バレンタインなんだからそれ系の話に決まってる。さすがに立ち聞きは駄目だよね。そう思って相手が気付いていない間にその場をこっそり去ろう。そう思った時、聞こえたのは「佐藤君」って名前。ドキっとした。…佐藤なんてどこにでもよくある名前だ。でも、なぜかそれが寿ちゃんだと、疑わずに思えた。
去らなくちゃ失礼だ。そう思うのに、足は根っこが生えたように動けない。いつの間にかダンボみたいに耳を大きくして澄ましてる自分がいる。盗み聞きなんて褒められた事じゃない。わかっているのに。声なんてもちろん全部聞こえるわけじゃない。でも耳を澄ましてようやっと一部分だけ聞こえてくる程度。そこで、聞かなきゃ良かった、って思う内容があたしの耳に飛び込んできた。

「ごめんけど、本命なら受け取れない。…好きな子がいるから」

確かにその声は、あたしの幼馴染の声だったんだ。





  





2009/02/16