愛と恋の副作用
「えー!うそ!」
その声が聞こえたのは、自由行動が終わって今日の宿泊先に帰ってきてからのことだった。移動中に聞こえてきた女の子(別のクラスの子)達の私語。何となく聞こえてきた声の中に「佐藤君」の名前を聞いて、反射的に聞き耳を立ててしまった。そしたら、次に聞こえたのは自由行動での話だ。その子達の友達?らしき子も清水寺に行ったらしい。そこで、見てしまった、と。寿ちゃんが…真ん中の滝で、水飲んだってこと。…真ん中。頭の中でリフレインされたのはあの看板の文字。
“恋愛成就”
まさか、そんな。だって、寿ちゃんに好きな子がいるなんて、今の今まで聞いた事ないのに。佐藤君は佐藤君でも佐藤違いなのかもしれない。そう思ったけど、でもなぜかあたしの頭の中では寿ちゃんしかなかった。
移動中のあの子達の噂が頭から離れない。もしあの子達が仲の良い子だったら、それとなく聞くことが出来るけど、あいにくしゃべった事のない子だから…そんなの聞きづらい。人見知りなわけじゃないけど、そんなに人懐っこい方でもない(ちっちゃいころは結構人懐っこかったけど)気になるとなんかもうほんとどうしようってくらい、考え込んでる。でもなんでこんなに気になるのかな。
…もし寿ちゃんに好きな子がいたって、おかしなことじゃないのに。
でも、なんでかな。なんでこんなにもやもやするんだろ。もし、寿ちゃんに好きな子がいたら…って過程したら、なんか…すごく嫌だ。どうしてなんだろう。考えて、きっと…秘密にされてるのが、悲しいからだって思った。ずっと一緒にいたから、家族みたいなもので、兄妹みたいなもので、…半身、みたいなもので(これは大げさかもしれないけど)でも、ほんと気がつけばずっと一緒にいたから、秘密ごととかあるのが、多分悲しいんだ。そして、あたしがまだ知らない“恋”をもし寿ちゃんがしてるって思ったら、なんか…おいてけぼりな気がして。急に寿ちゃんが大人になったみたいな感じで…だから、きっと嫌なんだ。
「―――ん」
そうに、違いない。この胸のムカムカも、それが原因なんだ。もやもやする、気持ちも、全部。
「ちゃん!」
「っ!」
「えっ!?」突然の事態に、あたしは驚いた。見ればが眉間にしわを寄せてあたしを見てる。ガッと掴まれた肩の力に、ようやくあたしは呼ばれててたことに気付いた。「せき止めてる」言われて、後ろがつかえてることを理解して、あたしは後ろに並ぶ人達に謝って歩き出す。はあ、の大きなため息が聞こえて、苦笑。何が言いたいか、なんとなくわかる。「全くもう」ぼやかれた言葉に返す言葉もありません。って聞こえないふりをして空いてる席に座る。
「あ、」
そうしたらちょうど寿ちゃんが隣に居て、ちょっとビックリだ。考え事してたから気がつかなかったみたい。「寿ちゃん!?」と驚いた声があたしから出た。さっきの噂を聞いたばっかりで本人とのご対面…なんて気まずすぎるし、何より今は寿ちゃんと話ししちゃ…。どうしよう…と考えて、隣に座ろうとしてたを見て「あ、あっちが良い!」とっさに大きな声を出した。指さした方は加護嶋君の隣の席だ。丁度2つ空いてる。は近場で良いじゃんと言いたげな顔をしていたけれど、あたしはそれに気付かないふりをしての腕をぐいっと引っ張った。寿ちゃんの顔は見れなかった。
離れたと言ってもそんな大移動出来たわけじゃないから、斜め前を見れば寿ちゃんの顔とご対面だったけど、どうしても顔を見ることは出来なかった。こんなに近くに居るのに会話をしない、なんてケンカしてない限り、無い。…別にやましい事なんてひとっつもないハズなのに、この状況は変だって思うのに、それでも寿ちゃんに話しかけるなんて、早紀ちゃんの手前出来なかった。ううん、違う。ただ、怖かったんだ。寿ちゃんと喋ったことで、人に嫌われるのが。
楽しいはずの修学旅行で。美味しそうなご飯だって言うのに、大好きなデザートだってあるって言うのに。全然美味しく感じられなかった。
★★★
「不自然すぎ」
部屋に帰った時に聞こえた声に、あたしは目をまんまるくさせた。見つめればあたしを見てるの顔があって。その顔がどうにも呆れたと言う風な表情だ。一体なんの事だろう?って小首をかしげると、はその動作で意味がわかったらしく、詳しい説明をしてくれた。「佐藤君だよ」と寿ちゃんの名前が出て、ビクリと身体が反応する。「え?」声は裏返ってしまった。そうすればはまだ二人だけしかいない部屋の壁によりかかるように座ると、「あからさますぎるってば」とあたしを見上げて言った。あたしはどうしようかと迷ったあげく、の前に正座して座り込む。
「だって」
の言いたいことはなんとなく、わかった。けど、理屈じゃない。寿ちゃんとの事、昨日の出来事をは知ってるから出てくる言葉だと思う。あたしは居心地が悪くなって、の鋭い視線から逃げるように俯く。「だって、」また同じセリフがあたしの口からこぼれ出る。
「だって、何」
「……だって。…やっぱり、話し、かけづらい、…よ」
ぽつり、と呟いたセリフのすぐに、ため息が聞こえた。あたしが発したものではないそれの犯人はしか居ない。恐る恐る顔をあげると本気で呆れてる親友の姿。言葉に詰まりそうになって、でも思ってる事を言わなくっちゃと、ゴクリ、と一度唾を飲み込んだ。
「だって、早紀ちゃんに、悪い、し」
「柏木さんは関係ないでしょ。は何も悪いことしてないじゃない」
「そ、それに、…別の子が、寿ちゃんが、…」
恋愛成就の水を飲んだ、って。
最後までちゃんとに聞こえたかはわからなかったけれど、何とか口に出して言えたセリフ。
実際、あたしの頭の中に強く根付いてる言葉。だから、寿ちゃんの顔をちゃんと見れなかったってこともある。だって、たった一人の幼馴染なのに。すっごくすっごく傍に居た、男の子なのに。一番近い存在だったはずなのに。なのに、寿ちゃんに好きな子、なんて…今日初めて知った。別に居たって不思議じゃないことなんだろう、けど。でも、なぜか、そのことを考えると、胸の奥がぎゅうって切なくなるんだ。こんな調子で、寿ちゃんに話しなんてかけられない。
「……あたし、変だ」
こんなのあたしじゃない。あたしらしくない。こんなことでうじうじ悩んでるなんて笑っちゃうね。それでも、どうしても行動に移すなんて、出来なかったんだ。そうしたら、小さく息を吐く音が聞こえて、それからあたしを呼ぶの声。
「別に、は変な事ないよ」
「だ、だって…胸がぎゅうって苦しくなるんだよ?ごはん食べすぎたみたいに喉の方が詰まった感じがするの」
「…それは、が」
そう言って、が急に口を閉じた。あたしは次に来るセリフを訪ねたけども、は渋い顔するだけで。「ごめん」って言いながら「とにかく、佐藤君と喋ってみたら、答え出るかもしれないよ」って、あたしに言った。でも、その言葉にうんって素直にうなずける程、今のあたしは…強くなくって。
「……無理、だよ」
やっぱりどうしても、早紀ちゃんの事が…早紀ちゃんの友達の言葉が頭から離れなかったんだ。結局、あたしは大事な大事な寿ちゃんよりも、人に嫌われる方が怖くって。
このときのあたしの選択が、この先に待ってるあたしと寿ちゃんの未来を大きく変えてしまうなんて、気づきもしなかったんだ。だって、寿ちゃんはいつだって、あたしのそばに居てくれたから。後になって、このときのあたしの行動を、死ぬほど後悔することになるなんて、知るはずもなかったんだ。
2009/02/04