恋愛Jigsaw Puzzle
リトルの練習帰り、見慣れた横顔を発見して、俺は足を止めた。そっと近付いて、「何やってんスか」って声をかけると、びくりとその小さな背中が上下して、それからゆっくりと振り向いた彼女の顔は―――今にも泣きそうだった。
「…何、やってんスか」
同じセリフを、もう一度言うと、彼女さんは、小さく笑った。「大河君、かぁ」って言いながら。でもその声も、その笑顔もいつもより全然元気がない。それが見ていて無性に胸が痛くなって、無意識に俺の眉間にしわが寄った。小さくうずくまったさんの隣に座り込む。重たい練習道具を自分の身体の横に置いて、またさんを見つめると、その横顔はやっぱり泣きだしそうだ。それでも、瞳は涙でにじんでなんていなかったけど。こんな顔をしてる理由。そんなのオレは一つしか思いつかない。―――寿先輩、がらみ、か。…そう思うと、なんだか面白くない。苛立ちを押さえながら「何、やってんスか」三度目の同じ質問。さんは一度オレを見ると、ぶさいくな笑顔を作って、(そんな笑顔、似合わない)それから、なんでもないよ。なんて…わかりやすい嘘をつくんだ。
「ただ、ちょっと気分転換」
言いながら。さんは目の前の川をじっと見つめている。気分転換をしてるわりには、全然転換出来てない気がする。「…ウソつき」ポツリとオレの口からもれる言葉。その言葉にさんがビクリと反応して、それからちょっとおびえたような…やっぱり今にも泣きそうな顔をオレに向けた。(そんな顔、するなら吐けば良いのに)そう思うけど、気の利いた事が言えない。黙ってオレはさんを見つめていると、さんがあからさまに作った笑顔で「ところで、大河君はこんなところどうしたの?」なんて言うんだ。
「…つか、帰り道だし」
前にも一回一緒に帰った事あんじゃん。言ったらさんは居心地悪そうな顔をした(違う、そんな顔させたいわけじゃない)それから聞こえるのは「ごめん」ってトーンの落ちた声。…元気づけたいのに、元気なくさせてどうするよ。じこけんおにおちいってしまう。…こんなとき寿先輩なら、うまいことこの人を元気づけることが出来るんだろう。だって、寿先輩の前でのこの人は、いつも笑顔だ。バカみたいに楽しそうに笑ってる印象しかないから。
「……さんは、どうしたんスか」
でも、オレは寿先輩じゃないし、寿先輩のように出来るわけがないんだ。オレはオレのやり方でやるっきゃない。そう意気込んで、これ以上話をそらされないように、質問をすると、さんは一度ぎゅっと唇を噛んで、それから、ああほら、へたくそな笑い方で「だから、気分転換だって」と言った。
「だから、気分転換するようなことがあったんスか?」
めげずに話しかけると、さんが口ごもった。わざとらしく、視線をオレからハズして、川を見つめる。多分、このままどうにかやりすごせないかなって思ってるに違いない。でも、そんなん許すはずないし、何でもないって言うなら、本当に何でもないふりしろってんだ。こんなん、構ってほしいって言ってるようなもんだ。…ほっとけるわけ、ないじゃん。
「…寿先輩と、なんかあったんスか」
「と、寿ちゃんは関係ない!」
寿先輩の名前を出したとたん、急に顔いろが変わったのがわかった。こんなんで関係ないなんて、誰が信じるんスか。ほんと、嘘へたくそなんだから。つかなきゃ良いのに。「かんけーないように見えないんですけどね」言ったら、さんがぎゅうって奥歯を噛みしめるのがわかった。更に泣きそうな顔になってしまって。ああ、もう…思い通りに行かない。だんだんむしゃくしゃしてきて。
「言いたいことあるなら!悩んでることあるなら言やぁ良いじゃないッスか!何で黙るんだよ!オレが、年下だから!?」
こんなのただの逆ギレだ。こんな言い方したってさんは余計におびえるだけだ。だって、寿先輩なら、きっとこういう言い方しないから。そう考えて、さっきまでオレはオレ!とか思ってたのに、結局、佐藤先輩を気にしてる。ああ、もうさいあくだ。
「……ごめん。…心配、かけちゃったね」
ぽつり、聞こえた声は、すごくか細くて。…胸が、痛い。でも、ごめん、って言える程オレは素直じゃなくて、大人になりきれてなくて。「…別に」ってそっぽを向くと、さんが大きな、ほんとうに大きなため息を一度ついた。それに驚いて、またオレは彼女を見ると、さんは決してオレの方を見ないまま、「ごめん、じゃあ…ちょっと聞いてもらって良い?」やっぱりその声は、泣きそうだったから、オレはうんともいいやとも言えなくて(もちろん、いいや、なんて言わないけど)黙ってしまっていた。けど、オレの返事をイエスに取ったさんは、ぽつり、ポツリ、と呟くような声で、喋り出した。
★★★
話の元は、やっぱり寿先輩だった。どうやら、ケンカしたらしい。本人の話ではケンカするのは初めてではないそうだ。なら、素直に謝れば良いじゃん。素直さがさんの取り柄だ。そう言ったら、さんは苦笑いして「そうなんだけどねー」って言うから、ああそんな簡単なことじゃないんだって、ガキのオレでもわかった。どうやら、今回のケンカは、そう簡単なものじゃないみたいだ。
「あたし、寿ちゃんに…ほんと酷いことしたの」
そういうさんの瞳に、じょじょに涙がたまっていくのがわかる。時々歯を食いしばって、眉間にしわ寄せて、我慢してるのがわかるけど。…泣けば良いのに。普段なら泣かれたら困るくせに、なんでか彼女相手なら泣かれても良い気がした。でもそんなオレの気持ちとは反対に、絶対に泣こうとしないさん。それはオレが年下だから遠慮してんの?…思ったけど、口に出せない。だって、今のこの話と全く関係のないことだからだ。
いつも元気の良い声が、今ではすっごいトーンが下がってしまっていて、それだけ傷ついてんだってわかる。
「この前、寿ちゃんが監督に会いに来た日、言われたの」
この前、があの時の事を指すのだって気付いた。ああ、オレがさんを見つけて話しかけた日。寿先輩は何やら監督と喋ってた。多分それが辞める辞めないの話しだったんだと思う。オレ達もそんな詳しく監督から聞いたわけではないから何が原因なのかは知らない、けど。
「修学旅行の日の事、謝ろうって思って謝ったけど、ダメだったんだ。はムシが良い事ばっかりって…ほんと、その通りで、」
あの寿先輩が、さん相手にそんなこと言うなんて、思わなかった。だって、オレから見ると寿先輩はさんの事、すげー大切に思ってて、…多分、好き、だったと思うのに。なのに、その寿先輩が。そう思うと寿先輩に対して苛立ちがわき起こった。「な、んで寿先輩そんなこと」無意識に出た言葉にさんは目を見開いて、「ち、違うの!」って否定。えって見つめると、その顔はやっぱり泣きそうで、でもどこか怒ってる。ぎゅっと握りしめた手が、元から白いのに、更に白くなってる。
「寿ちゃんが悪いんじゃないの。寿ちゃん、辛かったのに気付けなかったあたしが悪いんだ。だから、言われても仕方がないことなの」
「…」
「ほんとはね、ほんとに寿ちゃんは優しいの。そんな優しい寿ちゃんを傷つけちゃったから、だから、だからね」
そんなに怒らないで。って、オレの顔をそっと触る。顔、って言うか、眉間、だ。いつの間にかしわが寄ってたみたいで、それを伸ばすように、そっとなでるさんの手。「…っ」なんで、さんはこんなに泣きそうになってるのに、どうして…寿先輩をかばってるんだろう。傷ついてるのはさんも一緒のはずなのに。「ごめんね、大河君あたしの為に怒ってくれてるのに」まるでオレの心を見透かすように、言うからオレはなんでかさんにもイライラして。だって、オレの事を言ってながら、結局彼女の中には寿先輩のことしか、ないから。
「そんなに、そんなに…寿先輩が好きなら、なんで…っ」
「…大河君?」
「なんで、もっかい謝りにいかないんだよ!仕方ないってなに!?それで諦めれんのかよ!」
言ったら、さんが息をのんだ。でも、さんの口から出てくるのは「だって…」って言う言葉。だってって言葉は、言い訳だ。「だってじゃないじゃん」今にも泣き出しそうなさんをじっと見つめると、
「だって…、だってなんて、声かければいいかわかんない。だってあたしには寿ちゃんの気持ち、わかってあげられないんだもん」
あたしには、修学旅行帰ってきたとき、お帰りっていってくれる妹がいた。ママもパパも、ちゃんといてくれた。修学旅行の話、楽しげに聞いてくれた。帰ってきたことを喜んでくれた人がいたんだ。だけど、寿ちゃんには、いなかったんだよ。家に帰っても、真っ暗で、誰も、誰も黙っていなくなっちゃってたんだよ。
そう言った瞬間、さんの瞳から涙が流れだす。ああ、あんなに我慢してたのに。やっぱりさんの気持ちを左右するのは寿先輩で。あんだけ必死になってたのに、寿先輩の事になると最後は泣けちゃうんだ。それが、なんでか、くやしくて。
「一人、ってどれだけ淋しいか、なんてあたしには想像する事しかできないんだもん!それなのに、そんな傷ついてる寿ちゃんにかける言葉なんて…!」
「なんで一人って決めつけんだよ!」
「っ」
だって、こんなに寿先輩を想ってるのに、なんで寿先輩を一人だって決めつけるんだよ。
「…アンタが、……さんがいるじゃん。一人だって言うなら、寿先輩を一人にさせなきゃ良いじゃん」
「で、も」
「いつまでも、うじうじしてんの、さんらしくないんだって。……離れたくないなら、そう素直に言えばいいじゃん。…素直さが、さんの取り柄、だろ」
…なんで、こんなくやしいって思ってるのに、こんなにオレ必死になってるんだろ。わからない、けど…でも
「心のこもった声なら、届くんじゃない?…さんの声なら、ね」
こんな悲しい顔、みたくないって思ったんだ。「もし、それでも駄目だったら、そんときこそまた弱音吐けば良いじゃん」言ったら、がポロポロ泣いてる姿が横目に映って、それから次の瞬間、ふわ、って次に視界に映るのは、さんの髪の毛。オレのほっぺたに当たる彼女の髪の毛が、くすぐったかったし、抱きつかれたんだって気付いて恥ずかしかったけど、でも…「ありがと、大河君」ってオレの耳元に聞こえる声に、ひきはがすことなんて出来なかった。
「……オレは、さんの味方だから」
オレの声は、泣きじゃくってる彼女に聞こえたのかは、わからないけど。
2009/08/30