君とドルチェ
放課後になった。机の中の荷物をカバンの中に詰め込むと、ふっとそれが目に入った。先日話したあの用紙。また机の中に入れておくことも考えたけれども、良く良く考えればそろそろこれ回収時期だ。どうすればいいのか、と考えてとりあえずカバンの中に入れておこうと教科書と一緒にカバンの中へ入れ込んだ。あとで、紗絢ちゃん達に聞こう。まだ第一のところにしか名前を書いていない紙。第二・第三を書く気なんて、全然ないけど。
それから仲の良い友達と教室を後にする。ほどなくして、別れ道でさよならして(彼女は吹奏楽部だ)あたしは一人廊下を早歩きしていた。まだ廊下には沢山の人が押し寄せている。丁度帰宅ラッシュだ。これから部活に向かう人、友達と遊んで帰る人、家に直帰する人の群れだ。ちなみに友ノ浦中は規律こそ厳しいものの、部活は自由参加だったりする。まあ入っといたほうが内申が良くなるから入った方が良いと再三担任の先生が語っていたので、あたしは野球部のマネージャーになった。寿ちゃんも家の事情から、野球部に入った。…ほんとなら、シニアに進みたかったと思うのに。それでも寿ちゃんは笑って「場所なんて関係ないよ!」って言ってた。自分は野球が大好きだから野球が出来れば良いって。―――まぶしい笑顔だった。精一杯、支えようと思った。寿ちゃんが選手として頑張るのなら、あたしはマネージャーの仕事を頑張ろうと、強く思って入部を決意した。
わ、わわ!ヤバイ!
廊下を早歩きしながら、ふと時間を確認するために空き教室の時計を覗くと、そうそうのんびりしてもいられない事に気付いた。部活開始時刻の十五分前。普通ならもう部室について着替えて、部活に必要な諸々を用意しているところだと言うのに。今日は終わるのが遅かった。マネージャーはあたしの他に同じ同期が四人いるけれど、他の人にさせて自分が遅れてくるのはどうしても申し訳ない。カバンを胸に抱いて、歩く速度を速める。まだ沢山の人が残っているけれど、それを上手に掻きわけて、進む。この波を超えられたら、部室まで走っていけばなんとか間に合いそうだ。そう思って、一歩更に踏み出した。
ドン!
「わ!」
「うおっ」
今日の、移動教室の時の事を思い出した。また、人に思いっきりぶつかってしまい、あたしは慌てて謝ると、ぶつかった本人があれ?と声を漏らしたのがわかった。恐る恐る顔をあげると、―――「あ!」目に映ったのは、東先輩だった。…今日一日で、二回もぶつかってしまった。「ご、ごめんなさい!」がんめんそーはく。そんな言葉があたしの頭をよぎる。けれども東先輩はにこにこ笑って「大丈夫?」と聞いてくる。東先輩の問いかけにコクコクと頭を振り子のように揺らす。
「今日二回目だね」
「ほ、ほんとすみませ!」
「いやいや、こんなに急いでどうしたの?」
「あ、ぶ、部活に遅れちゃうので!」
「遅れちゃうって…まだ全然余裕だと思うけど」
「準備、とか…」
急がないといけないと思って、そわそわしてしまう。けれど、どう話を切りだせばいいのかわからなくって(仮にも、先輩だ)あたしは一応先輩の問いかけに答えると言う形をとっていると、先輩は「真面目だね」と笑った。それから、一年生?と更に質問されてその問いにも頷く。「何部なの?」「野球部です」「へえ、じゃあ南優奈ってマネがいるでしょう?」
東先輩から出た名前。それはあたしが入部してずっとお世話になっていた先輩マネの名前だった。と言っても、もう夏の大会が終わってしまって、三年の先輩達と同じで引退してしまったけれど。
「ああ、そっか。もう引退してるかー」
「…知り合いなんですか?優奈先輩と」
「ん?ああ、同じクラスだから」
早く部活に行かなくちゃと思っていたのに、自分から会話を広げてどうする!そう思ったけれど、気になってしまったんだからしょうがない。へんてこな理屈で自分に言い訳していると、
「ちゃんは一年生でしょ?」
「え、あ、ハイ」
また、名前を呼ばれた。移動教室の時にも思った疑問。聞くなら多分今しかない。おずおずと質問すると、東先輩はやっぱりにこにこ笑っていて、「だって友達に呼ばれてただろ?」って、さも当たり前のように言った。でもそれにしたって、一回しか呼んでない名前をぱっと覚えてるのは凄いと思う。
「それに、入学してきたときに、可愛い子だなって思ってたし」
「…なっ」
さらりと言われて、あたしは驚きのあまりに言葉が出てこなかった。こ、これはどう解釈すれば良いんだろう。自慢じゃないけど、生まれてこの方「可愛い」なんてちっちゃい頃に近所の人とか家族・親戚の人くらいにしか言われた事がない。ましてや、こんな年齢の近い年上の人に言われるとは思っても見なかった。かぁ、と顔が熱くなる。正直、可愛いなんて言われるのは凄くうれしい。近くに居る男の子なんて言ったら、お兄ちゃんか寿ちゃんくらいだ。でも寿ちゃんはそんな「可愛い」なんて言うキャラじゃない。う、あ!色々もんもんと考えていると先輩は「あは!照れてる」とあたしの頭を撫でた。可愛いと言われた後だから余計、恥ずかしくなってしまう。
「か、からかわないで、ください!」
「えー本当の事なのに」
先輩はどこまでもマイペースに笑顔全開だ。これは、お世辞ととって良いんだよね?さっきよりもちょっと冷静になった頭で考えて、あたしは「さ、先を急ぎます!」と早口で申し立てると、先輩がひらひらと手を振って見送る仕草。ぺこんと頭を下げると去り際に東先輩が「今度ちゃん、デートしようね!」って言ったけど、それもただの社交辞令ってやつだ。あたしは一度振り返って曖昧に笑ってその場を去った。
なんだかんだで部活についた時にはもう開始時刻の三分前だった。同じマネの子に全力で謝って、慌てて着替える(ちなみに更衣室は別々に用意されてる)珍しく遅かったね!と同期の子に言われて、あたしはさっきあった事を話すべきか悩んだけれど、やめた。曖昧に笑うだけにして、まだ手の着けてない仕事に取り掛かる事にした。
「それに、入学してきたときに、可愛い子だなって思ってたし」
「深い意味、なんて…ないんだよね」
ぽつりと呟いた言葉は誰に聞かれるでもなく、空気に消えた。
そう、深い意味なんてない。だから、この顔の熱さも、深い意味なんてないんだ。
あとがき>>動き出しました(あたしの脳内では)
20102.21